昭和二十三年十月八日 御講話(4) 光録(補)

〔 質問者 〕考える自己は、本、副守護霊のいずれに属するのでしょうか。

 考えの根本は本霊ですが、副霊も考えを混ぜるんですね。そのとき本霊に力があればいいことをし、副霊に力があれば悪いことをするのです。平沢なんかは凶行のときは副霊だけになってしまうのです。……堀崎捜査課長は今年の三月、御守りをいただいたが、今度平沢の頭を御浄めしたらポロポロ涙を流しそれから間もなく自白したんです。それは副霊が少し減り、それだけ人間らしくなる、いわば仏心が出るのです。良心が閃くんです。ですから帝銀事件は私が解決したのです。そのうちに堀崎課長や藤田部長らが私の所へ礼に来るそうです。……人間は始終迷っているのですが、これは本副両方の働きです。だから両方の中間が人間の考えとなるのです。勿論いかなるときも本霊が勝たなければいけない。……きれいな細君を見れば、あんな美人と結婚した人はいいなと思い、美しい娘をみれば結婚したいと思う、「思う」ことは差し支えなく、まただれでも「思う」ものです。これが副霊の働きです。が、これを抑えて行動にまで行かせないのが本霊です。 思うこと、想念は自由でいい。 キリスト教ではそういうふうに「思うこと」を罪だというが、それではあまり固すぎます。しかし始終思っていると思いが移ります、そうなると執着になるからいけない。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、19481008、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年10月08日