昭和二十三年九月二十八日 御講話(6) 光録(補)

〔 質問者 〕道を求めるについて低いものは高い者を経て初めて高くなれると存じますが……

【 明主様 】ええ、まあそうです。

 〔 質問者 〕道を悟るため自分でいろいろやってみても頼りないのですが……

【 明主様 】それは主観だから判らない。この場合は神が客観する。そこで自分は最善を尽くして時を待つのがいい。向上を期するのはいいが、短時日にしようとすると焦りになり、焦っては高まるよりむしろ地獄、修羅道へ近くなる。

 〔 質問者 〕自分を指導する者がなければ自分が救われないと考えますが。

【 明主様 】指導は他力であり、自分で向上を励むのは自力であり、この両方で行くべきです。他力だけでも救われるが自力も必要、日蓮宗は自力のみだが、これは一種の信仰地獄へおちることになる。だから最善を尽くして時を待つのが一番いい。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年09月28日