昭和二十三年九月八日 御講話(16) 光録(補)

 〔 質問者 〕自分がお取り次ぎした講習生との霊線の関係はいかがでしょうか。

 太くなったり細くなったりしてます。手足ですら自分ではどうにもならないことがあるのだから。……ときには弟子のほうが身魂が高いこともあり、先生から離れたほうがよいこともある。親子の関係で言えば弟子を生んだことになる。だからいつまでも親のところにいたのでは大きくならない。渋井は中島の弟子だったが、渋井が独立するときいろいろ心配する人があったが「心配する必要はない。なにか意味があるのだから」と私は言ったのですが、現在はあんなになった。勿論一度は師弟の因縁で結ばれたのです。以前大阪でやってる先生とその弟子の仲が悪くなりついに別になって独立した。そのとき私に「自分は先生に背いたことを悪いと思う」と言うので「いや支部が一つふえたのだから結局いいのだ」と言った。そして別れるとき「これからはもう喧嘩せずに仲よくしろ」と言ったんですが、その人は離れてからも喧嘩していた。後にその先生が来たので訊くと「あれは大先生が喧嘩してもよいとおっしゃたったから」と言ったそうですが、私は喧嘩しろとは言わない。……喧嘩が悪いとも言えないし、またいつも喧嘩していいとも言えない。もう分かれたんだからこれからは先生は弟子を賞め、弟子は先生を賞めお互いに「ほめっこ」するように……と話したのです。ワサビやカラシがいいからってあればかり食っちゃいられない。そういうものは場合によってわずかに利用すればよいのです。喧嘩だってこれと同じことです。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年09月08日