〔 質問者 〕五年前に死んだ子に講習を受けさせたいと存じますが。
【 明主様 】これはもっと自分に講習したほうがよいわけだ。まだ本当に判っていない。死んだ人を始終思うことは霊に対してたいへん悪い。早く忘れたほうが霊は喜ぶのです。赤ん坊で死んだ霊は八衢での修行ができないから、その母親が現界でできるだけ善行をすれば早く天国に行きます。一般に子供は割に早く天国へ行ける、罪が少ないから。昔から天使の絵など子供の姿が多いのはそのためです。だから母親が一人でも多くの人を助け神様の御用をすればよい。始終思ってると子供の霊を引っ張っていることになり子供は浮かばれない。なるほど子供が死ねば嘆くのは人情でこれは悪いことではない。人が死ぬと仏教のほうでは四十九日間その家に霊がいると言う。極善極悪の人はすぐ行く所へ行くが、ふつうは五十日目に霊界へ行く。霊界へ行ったら早く忘れたほうがよい。そう早くは忘れられないが、早く忘れたほうがよいと知るだけでもよい。一周忌のような命日なんかには憶い出すのはかまいません。故人の写真も一〇年を過ぎたらかけてもよいが、死んで間もない間はいけない。こんな話がある。お釈迦様のとき、弟子の目蓮尊者があるとき地獄で母が苦しんでいるのを見た。なんとかして救ってあげようといろいろやってみたがどうしても母は地獄から上がれないでいる。そこでお釈迦様に、どうしたら救われましょうかと尋ねたところ、お釈迦様は忘れればよいと言われた。で、目蓮はできるだけ忘れるようにして一年ほど経ったところ、母は地獄から救われていた。このとき目蓮は、自分が自分の力で母を救おうとするのは間違いだ。自分は一切衆生を救うのが使命である、釈迦が忘れろと言ったのは、母を救うことも忘れて衆生を救えということだったと初めて悟ったということです。
仏壇の扉は夜は閉めたほうがよいでしょう。ねずみが入るといけないから。
故人の写真をかけるのは仏間ならどこでもよい。私の額がかかっているところは駄目です。ただやむを得ないなら、できるだけ額から離してかけてもよい。
古い以前の御屏風には寺の名が入っているが、あれは当局がうるさいからやったまでです。新しいのをお祀りしたければしてもよい。そして古いのは人にやったらいいでしょう。