〔 質問者 〕主神が悪との戦いにおいて苦心なさっておいでになるのはいかなるわけでしょうか。
【 明主様 】苦心してられるのは主神ではない。なぜなら主神は善悪の両方をお作りになったのだから。そして人間が未開のときは争い事を好むように作られているんです。いまも世間には闘争している者もあるが、これはまだ未開だからです。喧嘩なんかして血を出すのもまだ獣の状態だからで、ちょうど尻尾があったり、毛が生えてたりするのと同じです。そんな争い事がなくなったとき初めて文化が発達したことになるんです。以前西洋医学は子供だましだと言いましたが、こういうと医者は怒るかもしれないが実際神様の眼から見ればそんなものです。いまの人は文化が進行したとよく言いますが、まだまだ「トバ口」にも入ってない。今後何千年何万年先の文化の進歩したときのことが判らないから、今日文化が進歩しているように思ってるのです。正邪の戦いで文化を進めてる主神は上から見おろしておられる。ところが善悪と言っても絶対善も絶対悪もない。仏教では正邪一如と言うがその通りです。日本がたいへんな戦争をやり、敗けてしまったが、敗けたからこそ民主的になり、安心できるようになったのです。こうして集まることも昔はできなくて、一〇人以上来てはいけないと言っていた。大勢集まると警察がうるさくて引っ張られることがあったからです。実際あのころは嫌な気持ちでした。まるで宗教を共産主義かヤクザと一緒のように見られていたんです。こっちは世のためいいことをしてるつもりでやっていたんですがね。こういうふうに悪いことがいいことになり、いいことが悪いことになるのが運命なんです。だから調子のいい時は充分要心すればたいした悪いこともなくそれが続いて行く。有頂天になるとドカッと来る。悪い時が来てもいずれはいい時が来るのだから悲観しないでよい。
陰陽、夜昼の二つの力が作用し合って世の中が進歩して行くんです。以前「神が裁くというが、神は最初から悪いことをせぬ人間を作ればよいのに、悪いことをする人間を作っておいてしかもこれを裁いて苦しめるのはどういうわけか」と言った人があったが、これはもっともなことです。これだけ考えたんでは神様は無慈悲です。だから悪も社会の進歩のため必要なんだということが判ればよい。しかし私も作られたのだからはっきりしたことは判らない。ただ想像するだけです。主神の領分を人間が考えるのはよいがそう深く研究する必要はない。それより主神に作られた自分はなにをすべきかを考えたらよいのです。