昭和二十三年五月八日 御講話(3) 光録(補)

〔 質問者 〕夜の世界とは……

【 明主様 】天照皇大神の岩戸隠れ以後の時代を言うんです。伝説によれば国常立尊は非常に厳格な神様で、そのためその支配にやり切れず八百万の神々が一致して御引退を願った。結局世論に抗しかねて御引退になったということになってますがね。この点は大本教祖の「出口なお」に国常立尊がお憑りになっていろいろ物語られた、それを基にして私はお話するんです。艮<うしとら>に引退せられ北海道の芦別山に押し込められた。これは本当でしょう。これが節分の日で、一般の者はそれから豆を煎ってこれをぶつけるようになったんです。神々はこの煎豆に花が咲いたら出てきてもいいということを言って節分の行事をしたんです。そのとき国常立尊は綾部にもおられたんです。そのためか綾部地方は、鬼は内、福は外と逆に言うんです。ですからこれは事実と思えるんですね。国常立尊は霊界で閻魔大王になられた。これは非常に苛<きび>しい善悪審判の役目ですね。しかし厳格一方のやり方ではかわいそうなので、尊は現界で観音様になられた。これは私の解釈です。だから観音様は善悪無差別で慈悲をもって救われるんです。絶対の慈悲ですね。そういうわけと思って大差ない。天照皇大神と観音様とはぜんぜん違う。天照皇大神は太陽を表現しているんです。天に日月星辰があって地にこれが写っているんです。正月の「鏡餅」というのは天が地に写ることを意味してるんです。だからまた日月星辰が人間に写り、昔から偉い人を星というんです。天に木火土金水の星があるから人間にも五人の偉い人がきっとある。天照皇大神は太陽神で、仏界では大日如来です。仏とは全部神様が化けたもんですから。ここにいろいろと神秘があります。国常立尊は神の中の頭梁で引退と同時に家来の神々も引退した。そのあとは邪神が支配することになり、天若彦命がその総大将です。天のじゃくとはこれで、天の邪鬼のことですね。人類が邪神に苦しめられるから、いっぽうでその害を防ぐため、国常立尊や正神界の神々――正神の中には邪神のほうについた神もある――が、出られる時になったんです。仏に化けられたのはみんな偉い神々です。が後には仏の中にも邪神についたり負けてしまったのもたくさんありますがね。艮の金神の妻神豊雲野尊<とよくもぬのみこと>は「未申の金神<ひつじさるのこんじん>」です。古い時代には世界的にいろいろな御経綸があったんです。日本、朝鮮――昔は陸続きだった――支那などそうとう交通がさかんだった。国常立尊は生まれ変わっていろいろ仕事をされたと言われるがこれは事実らしいです。陸続きだったことは日本にも象の骨が出たことで判る。象があっちからやって来たに違いない。そして正神が仏になった時、一部の神は仏にならずに龍神になり、日本の近海で時を待つことになった。これが八大龍王で釈迦に封ぜられたのです。九州の海峡、明石、越後と佐渡の間、東京湾の海底で時を待っていた。その他、十和田湖にもいました。十和田湖の龍神が天に昇った時は地震、暴風雨が起り、水が渦巻き、やがて金龍が昇天して行った。これを二、三十人の人が見たそうで、私はその一人から聞いたんです。八大龍王はみんな人間になって働いているんです。勿論本人には判ってませんがね。まだおもしろい話もありますがそのうちだんだんに話しましょう。