昭和二十三年四月八日 御講話(2) 光録(補)

 〔 質問者 〕過去によく霊気療法というのを聞きましたが……

【 明主様 】人間の霊気にはいくらか治療の効がある。霊気療法のはそれです。

 〔 質問者 〕なにか世間に水の霊気というのがありますが。

【 明主様 】いままでの療法は患者の病気を引きうけるのです。御木徳一が「ひとのみち」を始めたのは、徳光教の金田徳光のためです。この人はそうとう偉くて奇蹟をいろいろやったんですが、それが御木の喘息を治した。ところが御木のほうはすっかり治ったが金田が今度は一ヵ月ばかり苦しんだ。そんなことから御木は「ひとのみち」を作ったんですがこういうのをお振替といって他人の病気を自分が背負って苦しんでしまう。で、毎月二五日にそれを神様にとってもらう。まア苦しみを神様にしょってもらうんです。あれはこんなふうにしていましたがだんだん病人が多くなり、苦しみも一人でしょいきれなくて準教祖というのを一〇人くらい作ってました。いままでのはみな引きうけるんです。それは神は月の系統であって水で治す。まア洗濯のようなものです。だから水は汚れてしまう。ところが私のは火で燃してしまうんだから自分は汚れず、病気をしょうどころかやればやるほど丈夫になる。それはあんた方がやって、判るでしょう。火を使うのはいままでなかった。霊界が昼になった証拠です。

 キリストもやはり月の系統です。彼の奇蹟は後世おおげさになったんでしょう。教祖に値打ちをつけるためにやったんですよ。日本にも弘法大師の石薯なんてありますね。弘法大師は病気を治す力がなかった。だから弘法灸を使ったんです。釈迦にもこの力はなかった。それで薬草喩品がある。観音様は薬師如来で薬を服めと説かれている。これは未だ夜の世界であり浄化させるよりも浄化停止のほうが手っ取り早かったからです。観音様は神の化身であり伊都能売大神ですがその上に主神がおられる。それは神道では天御中主大神、キリスト教では天の父、ユダヤではジュース、またメシヤ、支那では天帝、インドでは大自在天と言う。キリストは父の命で父の子として現われたと言うが、それはあの時代必要があって出たんです。私のは主神の力が伊都能売大神を経て、さらに私の体を通してみんなに行くんです。私は電灯会社であり、観音様は水力電気、大神様は水を出す源です。御守りは一つの霊線の中継ぎ、まア電球ですね。この電球は本社は同じですが、人によって百燭光にもなりまた十燭光にもなる、その人の働きしだいです。ふつうの人の霊力とはぜんぜん違う。御守りのない人がやるのはちょうど電灯のない所で手探りしてるようなものですよ。まア修行しても懐中電灯くらいですよ。

 〔 質問者 〕水の霊統も固めに属するのでしょうか。

【 明主様 】固めです。自分の力で治療するのは固めです。ウスヰ式治療法なんかも固めです。あれは重病人は入院させてましたが結局御自分も入院して死んでしまった。元、海軍の軍人の間にだいぶさかんだったですね。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p385~」 昭和23年04月08日