〔 質問者 〕光明如来と日月地大神の相違について御教え願いたいのですが。
【 明主様 】結局同じもんですがね。つまり最高の地位になられた場合「日月地」です。「日月地」は大神で神の位です。これで五六七となってお働きが完全になる。光明如来のほうは火と水です。観音様は火水土ですが、土が少しなんです。なぜ土が少ないかと言うと、これは私が出てから加わったからです。観音様は慈悲のお働きで善悪無差別、一切衆生すべてを救うお働きであって、あいつは悪いとか、こいつはどうとかいうのは観音様ではない。観音様の御本体は国常立尊で、北海道の芦別山におしこめられてから霊界で閻魔大王となり審判のお働きをされる。従ってすこぶる苛<きび>しいんです。ところがそれだけでは人間がやりきれぬから慈悲の神として現われたのが観音様であり、神や如来の地位では高すぎて衆生済度ができないから菩薩の位に下がられたんです。それが一段上ったのが光明如来です。いままでは観音様を拝んでも御利益はあったが弱かったんです。壺坂の沢市の話のように御利益はあったんです。そこへ土が加わると力が強くなる。土とは人体です。それが光明如来になると火と水――光が強くなる。今度離して御浄めするようになったのは、光明如来のお働きで、くっつけてしていたのは観音様のお働きです。そして土の力が完全に強くなられたのが「日月地」です。
私は昭和三年から六年間菩薩、九年から一五年まで如来、一六年から二一年まで「日月地」の働きをしていたのです。これは霊界であって現界は去年から「日月地」になった。一昨年までは私も治療したが、去年からできなくなった。それは位が高くなって大衆と離れたためなんです。
この道に入った人が、よくわからずに霊界へ行っても救われる。野々山さん、この前あんたが話してましたね。霊界のほうがさかんなのです。しかしすぐ救われる人と、そうでない人とある。霊界の団体の霊でもこの話を聞いてすぐ承知するのとしないのとある。浄めを受けながら死んだ人は早いですね。
〔 質問者 〕昭和五年ごろ、大先生が御頭<おつむ>を短くしておいでだったので、なぜ長く伸ばすようになさらないのですかとお訊ねしましたら、私はいま坊主の修行をしているからだとおおせられたことを記憶しております。
【 明主様 】そうだったですか。昔のことは私自身も忘れてしまってますよ。