五六七教会小田原別院における御講話

今日は五六七ということになっているが、その意味を話す。箱根は五、熱海は六、小田原が七ということになってるから、どうしても、小田原にも本部ができなくてはならない。そして順序であるから、箱根から先にでき、次に熱海、小田原の順序になるのであるが、その小田原にできる、今日は第一歩と思うのである。

 小田原は七になるから一番大きいものができる。箱根が小、熱海が中、小田原は大で、これは神様が前から決めてやっているので、時期になるとちゃんとできるので、人間が計画を立てる必要もないから、非常に楽なんであります。

 強羅というのは言葉で解釈すると、五が火、ラは螺旋、渦巻で、火が渦巻になって拡がることである。

 熱海〔のアタ〕は、天ということ、アタマとかタカアマハラとか、ア行は天の行である。タカアマハラはみなア行である。

 天中 界地
 │ ┌─┴─┐ │
 アイウエオ
 │ └─┴─┘ │
 火 中 水 になる。言霊というものはそういうもので、その働きをする。いずれ言霊という一種の学問にする。

 〔ミ〕これは水であるから、熱海は天の水という言霊である。

 小田原は、田は〇に十、すべての中心、十は経緯結ぶ、箱根は経、熱海は緯、山は火、火をふく、海は緯である。経緯結んで十になる。原は広い平らなこと、人間でも腹というと広い平らな所である。すると、〇に十の字の広い所の小さい型ということになる。原はまた土であるから、それで火水土となるのである。今度は土の時期が来るのである。

 私の仕事を始めたのは昭和三年で、三年から三年間が神界の経綸である。六年目の昭和九年に、民間治療として麹町へ店開きした。それまでは大森にいた。

 九年から一五年までは治療をした。初めは宗教的にやろうとして大日本観音会をやった。そして昭和九年の一〇月、不思議なことがあった。観音会を始めたら宗教弾圧があり、当局では戦争準備として思想方面を取り締り始めた。まず一番初めに、共産党を弾圧し、次に宗教に及び、新宗教、類似宗教と無差別的に弾圧し、それに引っ掛かってやめることとなった。であるから元々宗教であった。そして九年から一五年までの六年間で民間療法の土台を築いた。そして一五年にやめた。一六年から準備工作し、二一年までの六年間で基礎工事ができた。そして二二年から家ならば本当の土台ができ、建前ができ、土台をつくことになった。ところが疥癬でイキナリ苦しみイキナリ治った。これからが本当の仕事になる。

 神幽現(六年、六年、六年)幽界は八衢、仏界になる。六年、六年、六年でちょうど十八年間になる。

 幽界の経綸の時は非常に苦しんだ。豚箱へは三度入った。最初は十一日間いた。警察ではイキナリ調べてもなんにもない。「こういう宗教を調べると必ず婦人問題があるものだがない。あっても解らぬのかもしれぬが、まったく不思議だ」と言っていた。結局、大山鳴動して鼠一匹に終わった。それから借金で非常に苦しかった。それで一六年からズーッと楽になった。このようにすべて決まっている。

 前の仕事をすっかりやめて、専心神業に進んだのは昭和三年節分である。節分は意味があるが……

 十八年はミロクである。ミロクは、五六七が本当のミロクの数で、バッジはその意味である。赤は火〇、青は水〇、Λの字は小田原の田の字となる。これから本当に力が出る。力は経緯結んで左進右退する字。Ζは力を四つ合わす字、仏教は右卍であるが、これは月であるからで、月は物質である。ヒトラーは左Ζでいいが悪で行った。黒は悪魔の色である。夢などで黒い人間の形をしたものがイジメたりなどする。 黒いのは邪神である。 Εナチスのは斜カケになってる。これは本当でない。

 紅卍は紅い卍、先に観音会のは金Ζをつけた。金Ζ会を造ろうとして、弾圧されてやめた。力というものは、チは霊、カラはカラダ、外殼、カラッポウということ、死人はナキガラという。故にカラは体、霊は経、それで人間は肉体と霊とで活動することができる。

 ヒトは、霊《ヒ》が止まる。言葉でも文字でも、神様が造ったものである。

 言葉は一つの鍵である。鍵で開けるのである。

 Μは五、つなぐと大の字になり、大は人間の形、六はΝ獣の形である。七は、ナナで、ナル、土を略すと七になる。

 キリスト教では、七日間で天地ができたという。それで七日目に日曜を造った。ナルとか、まとまるということ。

 五六七は火水土となる。八はヒラク、数がたくさんということ、八百万《よおよろず》などと言って、たくさんということは八で表わす。観音様の御本体は一寸八分が本当で、お堂は十八間四面で、毎月の命日は十八日で、経緯結んで開くのが観音様のお働きである。であるから、これからは本当の観音様のお働きになる。これについて本が出るから読まれよ。

 観音様は鉱物でいうと金になる。浅草の観音様の御本体は、金無垢の一寸八分であった。いまは中途でなくなった。昔は浅草町長昌寺に安置してあって、一年に一遍御開帳があったが、長昌寺の坊さんが道楽で、いろいろなものを売り、質に入れた。私の曾祖父は質屋をしていた。武蔵屋喜左衛門といって、近隣では有名であった。そこへ観音様が来た。養子は人がよく、すっかり財産を潰し御本体を手放したと、私の乳母が話したことがあり、そういう因縁がある。

 金は日本で、日本は黄金の国という、観音様は日本の仏、阿弥陀、釈迦は髪が縮れている。大仏様は唐金で、観音様はお堂の中へお鎮めするのが本当で、外へ雨曝しにするのは嘘である。(速記)

「岡田茂吉全集講話篇第一巻p289」