まず人体なるものは、いかなる要素によって成立しているものであるか--というと、人体は物質ばかりではないので「精霊と物質(肉体)との二元素の密着不離の関係」によって生を営んでいるのであります。
図に表わしてみましょう。
今言った通り、霊体と肉体とはピッタリ合致しているので、それで、霊体が脱出するのを“死”というのであります。
一体病気が起るという事はどういう訳かというと、初め霊体に曇が生じ、それがそのまま肉体に映って、それで病気となる事は既に述べた通りであります。
しかし反対に、肉体から霊体へ写るように見える事もあります。それは例えば--、
怪我や不摂生の為の病気ですが、これも根本へ遡ればやはり霊体が先であります。
怪我をしたり、鉄砲に当ったりするのは、肉体が先のように思われますが、実はその前に霊体が轢かれたり、鉄砲弾にあたっているのであります。
鉄砲を向けた時、未だ弾の出ない内に、弾の霊が、人間の霊体へあたっているのであります。ですから、その肉体を外れて打っても必ず命中するんであります。
歴史に有名である那須の与市の話ですが、扇の的を射る時に、那須権現を(矢を一生懸命つがえながら)念ずると、一人の童子が現われて、矢を持って空中を駈け、扇の的にあてたのが見えた。勿論霊が見えたのであります。そこで矢を放ったらあたったのであります。
これは一大霊験として、那須権現の祠を新しく造り、一生涯熱心に尊信した--という事が那須権現記に出ております。これ等も決して不思議ではない。霊界の方で、もう先にそうなるんであります。
ところが、こういう事がある。それは--
霊体に鉄砲弾が命中しようとしても、その「うたれる人」が、曇のない--立派な磨けた人とすると、その人は霊衣が厚いから、その厚い霊衣にはあたらない。--それが霊的法則であります。
戦争に行って鉄砲弾に当るのは、霊衣が薄いからであって、霊衣の厚い人は決して当らないのであります。
龍の口で彼の日蓮上人に刃を向けたが、その刃の折れたのは、上人の霊衣が厚かったからであります。
それで、霊衣の厚いのは何故か--というとその人の心魂が磨けているからで、厚い程、霊光の度が強いのであります。
そうなるには、偉大なる信念を有し、身魂を磨き、善徳を積む事によって得らるるものでありますから--こういう人は、病気に罹る事は絶対にないので、もちろん天寿を全うするのであります。僧侶等に長命者の多いのは、そういう人達でありますが、今日はそういう有徳者は少いようであります。