前述の理によって、実験上、病気に罹るやそのまま放置しておけば、十中八九は順調に治るものであります。
それは全く「浄化作用」であるからであります。
唯その際本療法を行えば、浄化作用を促進さす事によって、苦痛は軽減し、自然療法で一週間かゝるものなれば、一日か二日で治る事になるのであります。
今日迄、此理を知らなかった為に、多くは物質によって『苦痛を緩和』される事が病気が治る事と思ったのであります。
病気は、精霊の曇である以上、之を払拭するのが「根本療法」であります。
この理によって、霊的療法なるものは抜本的であるから「再発の憂」は無いのであります。これに引換え、唯物的療法の進歩は、どこ迄行っても根本には触れ難いから、どうしても枝葉末節に趨り、微に入り細に渉るようになるのであります。
これを樹木に譬えてみると、一層よく判るのであります。
樹木の葉が枯れるのは、葉そのものの疾患ではなく、根本である--『眼に見えない根』に故障があるのであります。
故に、何程葉を研究解剖し、物理療法を施すと雖も、効果を挙げ難いのであります。
然し、此物的研究も勿論必要であって、今日の医学の進歩にみても瞭かであります。それは、内部を探らんが為の一手段の意味である事は、申す迄もありません。
「『岡田先生療病術講義録 上巻(二)』,岡田茂吉全集著述篇第二巻p178」