昭和十九年四月四日 御講話

 観音様が布咀落迦山にお降り遊ばして、南海大士と申されておられた時のことである。

 お釈迦様がお訪ねいたしていろいろお聞きになり、初めていままで知らなかったこと、また悟れなかったことをうけたまわり、本当の悟りに入られたのである。

 この時よりお釈迦様は、「見真実」となられた。しかし、このことは時の来るまで発表することを許されないことなので、致し方なく法華経をその後お説きになられたが、ただ一部分を明かすのみにて止めたのである。最後の世に現われて、光明世界をお建てになる方は、観音様であることも判ったけれども、これも発表することができなかったために、普門品を説かれて観音様を礼賛されるに止められたのである。

 仏が滅することもすべて知られたるために、「仏滅の世が来る」とお説きになり、この世は火宅だなどと申されたのであるが、その実は、仏の時代のことであって、一度観音様がお越しになれば、この世は救われることもご存じになられたから、時期の来るまでを仏教により少しでも善いほうへ導くようにと弘められたまでであって、仏教は永久的の教えでないことは、これを見てもよく判ることであって、お経もすべて一部ずつを判らしたのである。

「岡田茂吉全集講話篇第一巻p29」 昭和10年04月04日