立像の目の奇蹟

 昭和十八年の五月か六月でした。中島一斎先生につれられて、玉川上野毛の宝山荘をお訪ねしました。

 そのとき、一尺ぐらいの黄金の立像が置いてありました。明主様は、その横にすわっておられました。この立像を所有している人は不幸になるというが、それはどういうわけかと、ある人がその立像をもって来て、明主様に伺いを立てたらしいのです。

 明主様は、私の目の前で、その立像に審神をなさいました。そして、『これは前漢時代の皇帝だ』と言われました。そう言われると、私のような素人にも、その立像のふたつの目は絞々と、何か不思議なものをたたえて光っているように見えました。

 それから、明主様は、『お帰りを願うのだ』とおっしゃって、しばらくお祈りをするような様子をされ、『いま、お帰りになったよ』と言われました。そのとき、立像の目が一瞬うつろになったように見えました。私には、これは奇蹟としか思えませんでした。いまもそう信じています。

 私は、いろいろの宗教を遍歴したわけではありませんが、明主様にお会いしたとき、私の感じたことは、非常に率直な方だということと、目に威厳があって、それが大変に厳しいものを感じさせるということでした。しかし、取りつきにくいという遠いへだたりのようなものは感じませんでした。

 しあわせなことには、初対面のときから、私は明主様にいろいろとお伺いすることが出来ました。自己紹介も何もなく、ただ中島先生と一緒にお訪ねして、ただすわっていて、お話をおききすることが出来たのです。御面会のときは、順番をきめて、直接明主様におたずねしました。そして、それぞれ明快なお答えをいただきました。ただ、昭和二十五年の法難事件のときでしたが、明主様は私に、『法律というやつは、よくわからんよ』と言われたことがあります。法律は、常識であるとともに技術ですから、明主様もそういう専門技術まではご存じなかったのは当然でしょう。明主様という方は、なんでも徹底的に研究されなければすまないという情熱をもっていらしたが、法律を特に勉強されたかどうかは、私にはわかりません。