理解力の深さと広さ

 教祖様は浮世絵を盛んにお蒐めになっておられ、ある時、藤懸先生が私に、「あした、お光さんがうちに来られるから、あなたも来なさい」と言われて伺い、そこで教祖様にお目にかかりました。

 この時初めて言葉を交わしたわけですが、非常に控え目な方で、先生の美術談にもまじめな態度で、熱心に耳を傾けておられました。

 その態度からは、神様ぶっているところが全然なく、平凡な一市井人という感じでした。

 しかし、どことなく威厳があって、やはり犯し難いものを持っておられるようでした。

 もう少し別の言葉で申しますと、あまり語られる方ではなかったのですが、非常に清澄で、深い聖らかな感じがしました。つまり、深い淵に水をたたえているといった感じでした。しかも、そのたたえた水は溜り水ではなくて、さらさらと流れているといった感じを強く受けました。

 風采は普通の人と変わったところがなく、むしろ好々爺といった感じでしたが、触れることの出来ない尊厳さといいますか、あたりに光を放っているといったところがありました。

 この時の藤懸先生のお話に「浮世絵が世界的であるということは肉筆を通じてではない。それは版画を通じてであるが、日本人は版画は一種の出版美術と見做して高く評価していない。そのため版画の方は海外へたくさん出て行ってしまった。だから、教祖様も、肉筆と同時に版画の方も集めてほしい」というようなことがありました。

 教祖様はすぐに理解されました。その理解力の深さというか、巾の広さも“ああ、そうか”という人まかせではなくて、透徹した頭脳があっての上での、ほんとうの理解と私は受取りました。

 二度目にお目にかかったのは、箱根美術館で岩佐又兵衛の作品の展覧会をやった時と思います。この時も藤懸先生とご一緒でした。

 拝見しておりますと、どなたかお取次の方が、“教祖様がお目にかかる”と呼びに来られ、竹の植わっている部屋へ通されました。

 部屋には教祖のお描きになった観音様の絵がかかっていましたが、なかなかご立派なものでした。融通無碍といいますか、滞りのない線で描いてあったように記憶しています。素人ばなれのした絵でした。非常に澄み切った絵で、品がありました。そこに教祖のご生活がハッキリ現われているような絵でした。

 美術品というものは、最も愛すべき人のそばにあるもので、なんとか手に入れたいという執着心というか、悪い言葉ですが執念といった心が働いて初めて引き寄せられるもので、そういう美術品が集まったということは、その人に人徳があったからです。この意味で、教祖様のご人徳によって、あれだけの名品が集められたのだと思います。

 人を愛すると同じように美術を愛されたのでしょう。しかも、短時日のあいだに急速に集められたのも、教祖様のご人格に惹かれて、みなが持って行ったわけで、まれに見るコレクションだと私は思います。