昭和九年一月四日のことです。明主様はご治療を終えられ、お庭に出られて、凧をお上げになられました。
達磨の絵の大きな凧でしたが、明主様は盛んに凧の糸を繰り出されておられます。
ふと私はその凧を仰ぎ見ますと、なんという壮観、その大凧より紫色の大霊光が、威風あたりを払うという言葉はたびたび聞かされましたが、真に威風あたりを払って四方八方に吹き出すそのありさまは、まったく八方を吹き払うようで、そのご霊光の厚さは、下から拝見して二メートル巾ぐらいで、非常な勢いをもって吹き出す状態は、ちょうど花火が八方に吹き出しているような勢いで、なんともいいようのない荘厳さでした。
このため私は、大声を出して一同を呼び、みなに見させたところ、みんなも同じような光景を拝見させていただきました。
そのうち明主様が他の人に、『ちょっと持ってておくれ。便所へ行って来るから』と凧の糸をお渡しになられますと、さすがの大霊光もパッと消えてしまいましたが、お帰りになられて、凧糸をお手に取られると、またパッと以前同様吹き出したので、私はあまりのありがたさに、明主様に、「これは一体どういうわけなんでございますか」とお伺いいたしました。
明主様は、『いや、なんでもないですよ。ただ私の体から出た光が、糸から糸を伝わって行って凧まで行くと、伝わるところがないから凧のまわりから吹き出すだけなんですよ』と、まことになんでもないといったように、はなはだ簡単にご説明下されたのですが、私どもには実に大変なことと思われました。
明主様のお体からは、たえずこの通りご霊光が発せられておられるのですが、神様のご都合で一般に見えにくくしてあるのですが、この日ばかりはだれもかれも拝見させていただけ、まことにありがたく思いました。