想い出すこと

 昭和二十九年三月五日、「光は大地に」が静岡の新聞に連載されて五日目、私は熱海の碧雲荘へ初めてお伺いしました。

 その時のことを、思い出すままに少し書いてみようと思います。
 『きみがわたしのことを小説に書くというので、どんなふうに書くかと思って楽しみにしていたら、けさの新聞では、〝なんだ、ただの老人じゃないか〟と書いている。あれでいいんだ。最初から賞めて書いたら、読者は 〝こいつは八百長小説だな〟と思って、てんで読もうとしないだろう。ああいうふうに、最初はズケズケ書いてくれたほうがいいんだ』
教祖は、笑いもしないで、いや、まるで怒っているかのように、早や口で言いました。
私は、びっくりしました。
(最初は、ただの老人じゃないかと書いても、だんだんわしを賞めて行って、しまいには神様にしてしまうにきまっている。そう、教祖は確信しているらしい口ぶりだが、なんて図々しいんだろう。私は何も最後には賞めるともなんとも言やしない。神様にするとも、しないとも言ってやしない。ただありのままに、第三者として、救世教とその教祖のことを書こうとしているだけだ。これが自信満々の人間というものだろうか。それにしても図々しいもんだ)――私は心のうちで、そんなことを考えていました。そして、「光は大地に」の中で、会衆を前にした演壇の教祖が、〝耳の穴がかゆいとみえて、タバコを持っていないほうの手で、マッチ棒をつまんで耳をかいた″と書いていることを思い出したので、教祖に、
「耳をマッチ棒でおかきになったのには、私は思わず笑ってしまいました」と言いました。

 そうしたら、教祖は、
『耳がかゆいから、かいたんだ。耳かきがなければ、マッチ棒だってなんだっていいじゃないか』と、睨みつけるような眼をしました。
「でも威厳がなくなります」
『威厳だと? 威厳なんていうものは、つけようとしてもつけられるものじゃない。黄金の耳かきで、腰元に耳を掃除させたって、威厳のないものに威厳はつかない』

 これには、私は全く感心しました。見事なものだと思いました。ですから、私も正直に白状したのです。
「私は半ば好奇心で、きょうここへ何ったのですが、いまのお話で、ゴツンと脳天を叩かれた思いです。私は、私の倣慢さが、つくづく恥ずかしくなりました」
すると、教祖は、あはははと、咽喉仏まで覗かせて笑って、『きみの倣侵さなど、たいしたことはない。わたしは、もっと倣慢だ。桁ちがいに倣慢だ。だから、むだな威張り方なんかしないんだ』と言われました。

 その顔は、さっきの恐い顔とは正反対の、まるでそれこそ、いろり端でナタ豆ギセルを手にしている好々爺のような顔でした。
私は、その表情にも感心しました。観音さまをチラリと見たような気がしました。
その時の印象が鮮やかに残っていて、いまでも私は、観音さまの顔というものを考えると、ただやさしい顔とは考えられないのです。急天直下、怒るとおっかないぞと思うのです。また、その逆に、怒った顔をしても、ちっとも恐くはないぞ、そら、怒った顔で笑っているじゃないか――と、そう思うのです。

 さて、その日、私は教祖につまらない質問をしたことも忘れてはいません。
「霊界には、百八十一の段階があるそうですが、ほんとうですか」
『ほんとうだ』
「百八十でも、百八十二でも、いけないのですか」
『いけない』
「そうですかねえ」と、私は思わず呟いてしまいました。
 そうしたら、教祖は、また恐い表情になって、
『生意気が一番いけない』と言われました。

 言葉は、それほど強くありませんでしたが、私は、この時、からだの奥から慄えました。頭も上げられませんでした。

 それまで私は、自分が生意気とは思っていませんでした。

 しかし、その日の夕方、私は家へ帰って来て、この〝生意気〟という言葉を、幾度も考えてみました。そして、たしかに生意気にちがいないと思いました。

 見えないものの見える人と、見えないものは見えない人とありますが、その見えないものの見えない私という人間が、見えないものの見える人に対して、「百八十でも、百八十二でも、いけないのですか」などとたずねたのですから、まるで盲人が、青色の壁にさわって、〝これは赤いはずだ〟と威張るようなものです。〝いや、赤じゃない。青色だ〟と言われても、なお、〝赤じゃいけないのか〟と言い張るようなものではないでしょうか。
 ――なんという生意気さ!

 また私は、「私でも信者になれますか」と教祖に何ったことを思い出します。

 すると、教祖は、『おまえは当分信者になるな。信者になってしまうと、きっとおれのことを何から何までありがたいと言いたくなるだろう。それじゃ読みものとしてもおもしろくなかろうし、読者も感心しないから、信者にならないで、思うさま書きたいことを書く方がいい』と言われました。

 このひと言で、私は教祖の底知れぬ深さを見せられました。