岡田茂吉翁追想

 私が岡田茂吉翁から令息三穂麿君に画の指導のご依頼を受けたのは、昭和二十二年四月である。細川護立さんから話があり、鶴見祐輔氏の紹介状をもって、中島一斎夫人が付添って三穂麿君が来られた。

 茂吉翁ご夫妻が大磯の拙宅へ来られたのは、三穂麿君のことの礼のためで、二十六、七年ごろであったとおもう。

 翁はいささかも気取りのない方で、江戸の職人の遣うような言葉つきであっ
たのも意外であった。

 美術品のこと、なかなか熱心で、広い智識を持っておられた。 夫人はふっくらと優しく、いかにも貞淑な日本婦人といった感じを受けた方であったとおもった。

 昭和二十八年十月四日、箱根の岡田氏からお迎えの自動車で、大磯より小磯家族一同と共に強羅美術館に到る。夫人および三穂麿君夫妻その他の方々に迎えられる。

 岡田茂吉翁、温顔で迎えられ、大広間にてご挨拶あり、大床に光悦、鹿下絵歌切幅かかり、桃山屏風飾られ、その別室にてお心入れの和洋二種の昼餐をご用意下さる。

 ご馳走をいただきながら、六朝馬上楽人俑を見た。

 やがて、美術館第一室から拝見、桃山時代、南蛮風俗小屏風、保存完好のもの。初期浮世絵長谷川派風、黒けれどよろし。同、若衆盆踊、なかなかおもしろき画風。

 仁清「金銀菱茶碗」一対、光琳、乾山合作「角皿」、ことに志野、宝珠型つまみある香合、同一文字香合、同茶碗、鼠志野角皿、黄瀬戸アヤメ手小鉢など垂涎禁じ得ぬもの。

 第二室はエジプト彫刻、漢土偶、黒陶土偶、六朝石仏、ガンダーラ仏、ペルシャ陶、アンダーソン陶、飛鳥止利型仏、白鳳仏、藤原仏、殊に閻魔天の牛、よろし。

 絵画には、牧渓((もっけい))の鶺鴒(せきれい)双鶺は印に異論あるというもありがたし。乾山の細い幅、光悦金泥木版下絵二巻。次の室は中国陶、唐三彩、修内司窯、郊壇窯、均窯、遼三彩、磁州窯、汝窯は瓶と鉢となり。呉須赤絵や祥瑞も綱羅されているにはおどろく。

 続いて広間にて、西域画「樹下美人」、馬遠「高士観月」および「山水」、梁楷「寒拾図」、范安仁、高然暉と並び、宗達「狗犬」および「鴨」および「伊勢物語」、師宣絵巻、「歌比丘尼」と鳥居清信「遊女」ことによろし。

 歌麿も、懐月堂も二幅あり。別館で版画多数拝見、春信三枚特によろし。歌麿、豊国の大首も立派であった。

 ご案内下さる方熱心で楽しく、また看守の役を受持たれる婦人の方々の礼儀正しいこと、信仰精神の現れか気持がよかった。

 大広間に招ぜられて薄茶をいただく。小生には志野、小妻には仁清の名碗なり。窓外は正面明星、左に明神の山々の、美しい山襞をま近に見晴らす展望。岡田翁ご夫妻のご案内で、庭内を一巡し、茶室の用意までした下さったが、もう時間のないため辞退して帰途についた。

 以上は、当日の日記の抜萃の日の眼福と、翁の広い趣味と美に対するこまやかな感覚か窺われ、そうして、この日の心からの温かいおもてなしを嬉しく思い浮かべるのである。