入浴

 明主様は、午前八時にお起きになると、すぐお風呂へ行かれます。

 そして、そこで洗顔もなさるわけですが、特にお歯は、青年のころ、長く続いた歯痛のために死をさえ考えられたほどで、その手入れはまことに入念になさいます。

 ご入浴の時間は十分ぐらいで、お風呂場でも携帯ラジオでニュースを聴かれます。

 明主様のお湯かげんは非常にぬるく、とても一般の人でははいれないほどの低温でした。いつも、係の者が温度計で計りますが、それは夏も冬も一定していて、摂氏三十八度ときまっていました。(明主様は午後五時半にもご入浴なさいます)

 そして、その温度が少しでも高かったり、低かったりしますと、明主様は非常に敏感でいられるので、係の者はすぐご注意を受けることになります。

 湯殿でもラジオというと、ちょっと奇異に感ずるかもしれませんが、明主様は、どんな時でも、たとえ繁忙をきわめるお仕事のあいだでも、特にニュースだけは必ず聴かれました。このことは、教祖としての明主様が刻々と移りゆく世界の動向に、いかに大きなご関心をもたれていられたかを物語るもので、変転する時の動きに対しては、驚くべき的確さをもって判断を下され、常に最良の時に、最良の施策をおとりになりました。

 そのひとつの例として、明主様はラジオ・ドクターの時間にも非常に興味を持たれ、たいていの日は聴いておられました。そして、時々お聴きになりながら、ご自分でメモをとっていらっしゃることもありました。

 さて、ある日、明主様がお風呂から出られて、お部屋へ戻られた時です。

 身の廻りのお世話をする者は、お風呂からお出になるのを待って、すぐ朝のご挨拶をするきまりになっているのですが(他の奉仕者は、ご朝食の際、一同揃ってご挨拶に上がります)、ちょうどその時、二代様が係の者をお呼びになったので、その人は二代様の御用をすませ、それから、いそいで明主様のお部屋へご挨拶に行きましたが、一、二分遅れてしまいました。

 すると、明主様は、『おまえ、朝の挨拶をなんと心得ているか』と、三十分間もすわらせてのきついお叱りでした。そして、『この家に御神体のないのは、どういうことか、おまえにはわかっているのか。わかっているなら、おまえが私に毎朝する挨拶の意味もわかるはずだ』と、その係の者を戒められました。

 

明主様のご生活