正午、明主様は、ラジオのニュースをお聴きになりながら、「おひかり」に御入霊をなさいます。しかし、この入霊は、正午にかぎらず、ラジオ・ニュースの時間には、それを聴かれながら適宜になさいます。
入霊とは、「おひかり」を眉間(天帝)四、五センチのところへお寄せになり、御霊をお入れになることですが、明主様は、『私が文字を書いただけでもいいのだが、浄霊ということがあるから、「おひかり」にはさらに霊を入れるのだ』とおっしゃいました。御霊を入れていただくことによって、浄霊の際のお力を一層強めていただけるのです。
このように、明主様は、原稿をお書きになられる時とか、または来客とご対談される時とかを除いて、入霊の際もニュースを聴かれました。明主様は、『頭と耳はあいている』とおっしゃって、漏らさずラジオのニュースはお聴きになり、日本はもちろん、世界の動きやいろいろな出来事の意味を掴まれ、それに応じられつつ天国建設の大経綸をお進めになられました。
ある日、明主様は、ある先生と話をされ、ラジオのニュースを聴きながらお仕事をしておられました。その部屋の隅では、お供の人が緊張してお話を伺っていました。
明主様は、話をされながら、『いまラジオでこんなことを言っている』とおっしゃるのです。その先生は、「はあ、そうですか、これはうっかりしておりました」と言われました。
この光景を見ていたお供の人は、“明主様というお方は実にお偉いんだな”とつくづく感じ入ったそうです。仕事をしながら人と対談し、なおかつラジオのニュースをちゃんと耳に入れていらっしゃる。“これは全くただのお方ではないぞ”と思ったそうです。
明主様はよく奉仕者たちに、『私は普通人の十倍の仕事をやっている』とおっしゃっていましたが、一度に十人の訴えを聞いたという聖徳太子のように、とうてい常人ではまねの出来ないご日常でした。
ある晩、側近の者に美術書を読ませられながら、寸鉄のご口述をされておられますと、そこへ急病になった奉仕者が、明主様のご浄霊をお願いに来ました。
すると、明主様は、それらのお仕事をひとつも中止されることなく、ご浄霊をされましたが、こういうことが常人の出来ることでしょうか。