箱根美術館に、私の作った寵が出陳されているのをごらんになった方もあると思いますが、そのうちの一点は、明主様のご注文によって昭和二十八年ごろ作ったもので、中国の陶器(南宋の郊壇窯の壷)を模して作ったものです。
この籠の急所は、寛斉という鎧を綴る名人が考えた、いわゆる寛斉綴りの編み方をするところの順序で、これにはほんとうに苦心しました。しかし、やりがいのある仕事でした。
これを作るのに約半年、そして色づけに一カ月かかりました。根のいる仕事ですから、一日中続けて作るのではありませんが、毎日少しずつ作って、これだけの日数がかかりました。
余談ですが、私はいつも籠を作る時は、二つ作ります。一つは本物として作るのですが、もう一つは仮のもので、その仮の方を作ってみて、そのかげんをみては本物を作り、また仮の方で調子をみては本物を作るというように、二つを少しずつ編み上げ、出来上がった時は同じものが二つ出来ますが、仮の方はすぐ壊してしまいます。編む時、爪を使うので、明主様のご注文の、この籠が出来上がった時は、爪がなくなってしまいました。この籠は、私がいままで作った籠の中で、一番苦労をしたものです。
明主様のご注文はとても難かしくて、出来ないようなものをご注文なさるし、この籠もずいぶん苦労しましたが、しかしお気に召したので、ほんとうに苦労のしがいがありました。
この籠が出来てから、またご注文をいただきましたが、それがまたとても難かしいのです。
それは、筒の籠なのですが、筒だけならよいのですが、それに葉の模様を入れるようにとおっしゃるのです。しかし、それは難かしくて出来ないので、明主様に、「とても難かしくて出来ません」と申し上げると、『それではやめなさい』とおっしゃるので、私も、「では、やめましょう」と言って、やめてしまいました。
でも、いずれどんなに長い月日がかかっても、お気に召すように作って、ぜひ完成して、明主様にお目にかけたいと思っているうちに、ご昇天になりました。
何しろ、こんな難かしい注文を、私は、いままで一度も受けたことはありませんでした。しかし、私もこのように難かしい注文をして下さる方を求めておりました。
このような方にお会い出来たことを、ほんとうに倖せだと思っています。この花籠にしても、すばらしいご着想で、とても人間業ではありません。
明主様は、神様です。竹芸もここまで来ると最高です。これ以上の方はありません。