「日本五六七教会」

「日本観音教団」が設立されて約一年後の昭和二十三年十月三十日、組織の一つである「五六七会」が宗教法人「日本五六七教会」として独立することになった。このことにより「日本観音教団」は宝山荘に置かれていた教団本部を熱海別院(熱海市清水町)に移し、そこを仮本部とした。また「日本観音教団」の管長は志保沢多計司が務めることになったのである。

 もう一度前記『地上天国』誌創刊号の總斎の文章を見ていただきたい。『地上天国』誌は「日本五六七教会」設立の後に発刊したものであり、この間の教団の変遷をよく伝えている。まず渋井總斎の名前であるが、これまでの總斎、あるいは總三郎という名前ではなく「總吉」と署名されている。これは總斎が「日本観音教団」の管長に就任した時に、明主様から重ねていただいた名前なのである。それよりも、總斎の肩書が「前日本観音教団管長 日本五六七教会会長」となっていることに注目したい。わざわざ「前」の役職を付けているために、教団分離の事情を伝えることになった。

 なお翌昭和二十四年に「日本五六七教」として独立した宗教法人を設立し、もともと一組織であった「日本五六七教会」を被包括法人として傘下に収めたことになっているが、これは制度上の問題である。
「日本五六七教会」の発会式は昭和二十三年十一月一日に行なわれた。この発会式で、明主様は次のようなお言葉を述べられている。この中で、「日本五六七教会」設立の意義について触れておられるので引用しておきたい。

五六七教会発会式御言葉(速記)
 今度、今迄の観音教団から別れて五六七教会というものが出来たんであるが、名称は異っても内容は同じものである。ただ観音様は段々進むに従って光明如来様になり、弥勒になられる。ミロクというと─。弥勒菩薩というのは釈迦の弟子にあった。ミロクという名となると、神様になる。日月地大御神……。そういう時期が来たんで、今度五六七会が誕生した訳である。いろいろ神秘があるが、段々分るようにする考えである。弥勒は五六七、日月地、火水土──三位一体。今迄の宗教でも他のものでも、二つの働きだった。

 火と水の力というのが光で、光とか、光明如来というのは光の力である。それへ土の力が加わらねば、本当に絶対力は出ない。例えば、今迄観音様をお願して、御利益はあるが薄かった。痛い、苦しい、治して下さいといっても、さて、すぐに治らぬ。それよりは、浄霊すればすぐ治る。それは土の力が加わる。土は人間の肉体力で、火は霊、水は体だが、液体で固体でない。漿液で、人間の体は七割が水としてある。後三割が固体の肉である。故に人間の身体は火水土で出来ている。死ねば霊は霊界へ、水分は急に蒸発するようなもので、水蒸気になって発散する。亡骸は土に還元する。故に肉体は土とみてよい。

 火と水と肉体を通して初めて力が出るのであるから利益がある。故に五六七となると、凡ゆるものに対する力が強くなる。それで凡ゆるものが出来る。

 今日まで、善悪として、悪の方が勝っていた。ある期間勝っていた。そこで悪人や悪事が絶えない。何れは知れるが、それまでの期間が長い。それで一代悪い事をし通してすんでる人も偶にはある。中には三十年、五十年経った後で分る人もあって、悪い事と栄華をしている。そこで俺も悪い事をして出世しょうと思う。それは邪神の霊が勝つから……。

 世界でも○○主義、何々主義というが、それによっても人類は幸福にならぬ。一方が苦しみ一方が良くなる。号ついう主義によって苦しんだ。悪がはびこって善い方正直音が馬鹿をみるという言葉が出る。原因は悪の発見がおそいという事である。悪の力が強く善の力が負けていた。簡単にいえばそういう訳になる。 五六七という力は、非常に正しい善の力が強くなる。という事は、悪の発覚が早くなる。早くなれば悪い事をする者がなくなる。今日悪をして明日見つかったんでは、悪い事は出来ない。悪の勢力をうつのが根本である。悪のはびこるのは悪の暴露がおそい事になる。今、こういう教団があって、いい教えであると説くと、結構だと言いながらすぐに入って来ない。周囲の者などは、そんな馬鹿な事があるかという。事実を見て感心してもそんな馬鹿な事はないという。その人に憑った霊が囁く為の一時的の神経作用だと思う。であるから、判ってて判らぬ人が沢山ある。邪神界の霊がその人に憑ってる副霊に命令するようなものである。善い事が判っていて躊躇するんで障りがある。

 こんないい事を一遍に入るのが本当だと思う事が先によくあったが、それではこの方の準備も出来てない事と、今迄の霊界に於る火素の足らぬ為、闇が多かったという為、障りがある。五六七の力は非常な力で、そういう邪魔など、ドンドン排除する働きが起る。そういう力でないと人類は幸福になれぬ。文化が進歩した進歩したと言いながら、世界中苦しみ切っている。敗戦国日本の苦しみはありながらも、ヨーロッパに比べるとズッといいというのであるから、いかに人類は苦悩に喘いでいるかが判る。吾々の目的は一階級、一民族の救いではない。世界が苦しんでいる、それをも救うべく、大いに五六七の力を発揮して、善い世界を造らなければならぬ。祝詞にも、国と国との境なくとあるのはその予言である。アメリカでは世界国家というが、その時期が近づいたのである。それは悪の発見が早くなる事である。

 どういう世界かというと、二千年もかかって文化を築いたが、ともすれば悪が勝った。二千年掛ってこれだけ発展したが、今度は邪魔物がなくなる。今迄は戦争準備に国力の大半を使った。国家の半分以上は軍備をした。そういう無駄がなくなる。軍備に国力の大半を費したのを、善い物凡て平和的な事に使う事となるから、非常に躍進が早い。

 昼の世界になると、今迄千年掛ったものが、百年で出来る。(今年、百年間の進歩の状態をかいた)

 政治、教育、経済等、あらゆるものが大いに変る。(今迄、未来記などあるが、突拍子もない事が多いが、今の文化を踏台として、確実性ある予想と進歩を措いた理想世界がそれが)何故実現するかというと、悪が非常に少くなる。昼間の世界になるから、悪の発覚が早くなる。霊界が明るくなり、秘密など少くなるからである。
それかあらぬか、非常に暗闇の事が暴露された。そして総理までも危ないほどだ。罪悪が減ると、裁判や警察署など少くなる。法律が減る。今、法律の殖えるのを自慢にしているが、今日の議会は立法府である。それが廃法府になる。法律は非常に減る。中国のある時代には法三章と言った。聖徳太子の頃は十七条しかなかったが、それで秩序が保たれたので、それはあり得べからざる事でなく出来る訳である。全く今は暗のドン詰りである。その時代になると、刑罰は監獄や懲役でなく、汽車や船などの火夫がそれになる。食糧は非常に増産となる。今は八時間労働としているが、軍備の為に四時間費やしている。

 食糧も人間一人につき、年一石穫れるように造られている。穫れないのは間違った事をしている。稲は出来た時は、五粒から六粒しか出来なかった。粒多く、分蘖<ぶんけつ>が多くなればよい。然し無肥料の稲は折れぬから、いくら粒がなっても大丈夫である。
 三六九は、宇宙凡ゆるものの原則である。
 産業利潤も三分するから、税金をとる要はない。
 五六七会の誕生は、こういう理想世界を造る第一歩であると思う。
(昭和二十三年十一月一日、未発表)

 また明主様は「日本五六七教会」小田原別院において、昭和二十三年に「五六七会」の意義について次のようなご講話をされている。

御講話(速記)
 
 今日は五六七という事になっているが、その意味を話す。箱根は五、熱海は六、小田原が七という事になってるから、どうしても、小田原にも本部が出来なくてはならない。そして順序であるから、箱根から先に出来、次に熱海、小田原の順序になるのであるが、その小田原に出来る、今日は第一歩と思うのである。

 小田原は七になるから一番大きいものが出来る。箱根が小、熱海が中、小田原は大で、これは神様が前から決めてやっているので、時期になるとちゃんと出来るので、人間が計画を立てる必要もないから、非常に楽なんであります。

 強羅というのは言葉で解釈すると、ゴが火、ラは螺旋、渦巻で、火が渦巻になって拡がる事である。

 熱海は、天という事、アタマとかタカアマハラとか、ア行は天の行である。タカアマハラは皆ア行である。
 天  中界  地

 ア イウエ  オ

 火  中   水 になる。

 言霊というものはそういうもので、その働きをする。いずれ言霊という一種の学問にする。

 六は水であるから、熱海は天の水という言霊である。

 小田原は、田は○に十、すべての中心、十は経緯結ぶ。箱根は経、熱海は緯、山は火、火をふく、海は緯である。経緯結んで十になる。原は広い平らな事、人間でも腹というと広い平らな所である。すると、○に十の字の広い所の小さい型という事になる。原は又土であるから、それで火水土となるのである。今度は土の時期が来るのである。

 私の仕事を始めたのは昭和三年で、三年から三年間が神界の経綸である。六年目の昭和九年に、民間治療として麹町へ店開きした。それまでは大森に居た。

 九年から十五年までは治療をした。初めは宗教的にやろうとして大日本観音会をやった。そして昭和九年の十月、不思議な事があった。観音会を始めたら宗教弾圧があり、当局では戦争準備として思想方面を取締り始めた。まず一番初めに、共産党を弾圧し、次に宗教に及び、新宗教、類似宗教と無差別的に弾圧し、それに引っ掛ってやめる事となった。であるから元々宗教であった。そして九年から十五年までの六年間で民間療法の土台を築いた。そして十五年にやめた。十六年から準備工作し、二十一年までの六年間で基礎工事が出来た。そして二十二年から家ならば本当の土台が出来、建前が出来、土台をつくる事になった。ところが疥癬でイキナリ苦しみイキナリ治った。これからが本当の仕事になる。

 神幽現(六年、六年、六年)幽界は八衢、仏界になる。六年、六年、六年で丁度十八年間になる。

 幽界の経綸の時は非常に苦しんだ。豚箱へは三度入った。最初は十一日間いた。警察ではイキナリ査べても何にもない。「こういう宗教を査べると必ず婦人問題があるものだが無い。あっても解らぬのかもしれぬが、全く不思議だ」と言っていた。結局、大山鳴動して鼠一匹に終った。それから借金で非常に苦しかった。それで十六年からズーッと楽になった。このようにすべて決っている。

 前の仕事をすっかりやめて、専心神業に進んだのは昭和三年節分である。節分は意味があるが……。

 十八年ほミロクである。ミロクは、五六七が本当のミロクの数で、バッジはその意味である。赤は火○、青は水○、の字は小田原の田の字となる。これから本当に力が出る。力は経緯結んで左進右退する字。卍は力を四つ合す字、仏教は右卍であるが、これは月であるからで、月は物質である。ヒットラーは左でいいが悪で行った。黒は悪魔の色である。夢などで黒い人間の形をしたものがイジめたりなどする。黒いのは邪神である。ナチスのは斜カケになってる。これは本当でない。

 紅卍は紅い卍、先に観音会のは金をつけた。金会を造ろうとして、弾圧されてやめた。力というものは、チは霊、カラはカラダ、外殻、カラッポウという事、死人はナキガラという。故にカラは体、霊は経、それで人間は肉体と霊とで活動する事が出来る。

 ヒトは、霊が止まる。言葉でも文字でも、神様が造ったものである。
 言葉は一つの鍵である。鍵で開けるのである。
 火 は五、つなぐと大の字になり、大は人間の形。六は 水 獣の形である。七は、ナナで、ナル、土を略すと七になる。

 キリスト教では、七日間で天地が出来たという。それで七日目に日曜を造った。ナルとか、まとまるという事。

 五六七は火水土となる。八はヒラク、数が沢山という事、八百万などといって、沢山という事は八で表わす。観音様の御本体は一寸八分が本当で、お堂は十八間四面で、毎月の命日は十八日で、経緯結んで開くのが観音様のお働きである。であるから、これからは本当の観音様のお働きになる。これについて本が出るから読まれよ。

 観音様は鉱物でいうと金になる。浅草の観音様の御本体は、金無垢の一寸八分であった。今は中途でなくなった。昔は浅草町長勝寺に安置してあって、一年に一遍御開帳があったが、長勝寺の坊さんが道楽で、いろいろなむのを売り、質に入れた。私の曾祖父は質屋をしていた。武蔵屋喜左衛門といって、近隣では有名であった。そこへ観音様が来た。養子は人が好く、すっかり財産を潰し御本体を手放したと、私の乳母が話した事があり、そういう因縁がある。

 金は日本で、日本は黄金の国という。観音様は日本の仏、阿弥陀、釈迦は髪が縮れている。大仏様は唐金で、観音様はお堂の中へお鎮めするのが本当で、外へ雨曝しにするのは嘘である。  (未発表)
 さて、この「日本観音教団」と「日本五六七<みろく>教会」の関係が重要である。なぜ總斎はわざわざこの教団を明主様の「日本観音教団」から別派として独立させたのであろうか。この疑問に関して、明主様は明快に答えておられる。

 五六七教は渋井が今迄五六七会長としてやって来たが、あの人が十の中六、七の成績を挙げている。他の会は全部寄せても三位で「ケタ」が違いすぎる。従って観音教団の中では活動しにくい。思う通りにやりたいというので、一応もつともだと思って別にしたんです。(『御光話録』二号、昭和二十三年十二月二十八日)

 總斎の意図は、總斎があまりにも教団の中で飛び抜けていたために、それ自体を一つの教団として独立させて自由に明主様の御用をさせていただきたいということであった。観音教団傘下の一組織として活動するよりもよほど活動がしやすくなるし、実際、信徒数で全体の七割を占めていた「五六七会」は、独立した宗教集団に匹敵する巨大組織となっていたのである。では、「日本観音教団」と「日本五六七教会」との関係はどのようになっていたのだろうか。これについても明主様は、
 
 ええ別派です。が「五六七」も「観音」も元は一つです。(中略)観音様が縦なら「五六七」は横と思えばよい。結べば一つなんだから。もう少したったら又分派が出来るかも知れないし、又その先は一つになるかも知れません。名称だってそうですよ。(後略)(『御光話録』二号、昭和二十三年十二月二十八日)

 また、「日本五六七教会」は「日本観音教団」のなかに含まれるべきかどうかについて別の表現で、

 どっちとも言えないですね。時と場合によって中に含まれると言ってもいいし、別だといってもいいんです。今の所どっちとも定められないのです。縦と横の関係ですから。更にもう一つ教団が出来るかも知れません。これがそれぞれ別の働きをして将来は一つになるんです。(中略)「同じものか」と、きかれたら「同じだ」と答えたらいいし、「別なのですね」と云われたら「ええ、別です」と、いったらいいですよ。(爆笑)──人間はよく物事をどっちかに決めたがるものですが、中にはどっちともきめられない事もあるんですよ。(『御光話録』三号、昭和二十四年一月二十八日)

 と言われているが、結局のところこの二つの教団は切っても切れない関係にあった。明主様は、

 すべて物には陰陽があり、夫婦があり、経緯がある如く、両者長短欠点を補い合い進む事こそ、発展が速やかになるのであって、いわば左右の腕ともいえる。これが真理である。(『光』一号、昭和二十四年三月八日)

 と述べられたのである。

 実際、總斎自身も明主様のみ許から離れようなどとは、まったく考えたことはない。実はこの頃「日本観音教団」から、日本光明教団(主管、堀内尚美)、大日本光明教会(主管、深町孝之亮)、信徳教団(主管、上村雅信)、至誠観世音教(主管、山本佐一)などが相次いで独立している。しかし、これらは会員の数も少なく体制に影響を与えるものではなかった。一方「日本五六七教」は、信徒数、献金額においても教団の本体ともいうぺき規模で、与える影響力は絶大なものであった。

 總斎が、明主様のみ心から離れることなどまったく考えなかったと証明する事実がある。それは先程の『地上天国』誌創刊号である。この発刊は、昭和二十三年十二月一日付けとなっているから、「日本五六七教会」が独立したあとのことである。しかしその奥付を見ると、発行元が東京世田谷区上野毛の「宗教法人日本五六七教会」である。そうすると『地上天国』誌はこの時、形式上は總斎を管長とした「日本五六七教会」が創刊したことになる。ところが、この雑誌の実質的な編集は明主様がやっておられたのである。多くの論文は明主様の手が入った後掲載されるか、あるいは明主様が直接書かれたものが多いと、当時の編集担当者たちが語っている。今現在、当時の機関誌を再見するとそれも納得できよう。その意味では總斎の書いたとされる『地上天国』誌創刊号の文章も、あるいは明主様の書かれたものかもしれない。
『地上天国』誌創刊号には多くの“おかげ話”が載せられているが、これは五六七会系の信徒だけに限られている。ところが二号目以降には、他の会派の関係者の名前が挙がるようになっていく。總斎は「日本五六七教会」という独立した一教団が創刊した雑誌を実質的に「日本観音教団」のために提供したのである。たしかに明主様が言われるように、「日本観音教団」と「日本五六七教会」は“時と場合によって中に含まれるといってもいいし、別だといってもいい”関係にあった。

 当時の「日本五六七教会」の会計責任者の神田宗次の話によれば、明主様ご入用のお金や、明主様の側近専従者の給与などは、すべて「日本五六七教会」でまかなっていたという。いわば「日本五六七教会」は、明主様のすべての御用を行なっていた。