納得のいく信仰

 信仰は、たとえ他人からすすめられても、自分の方にも受入れようとする意欲<いよく>がないかぎり、予期<よき>した効果はあがらぬものです。万一義理や、情実<じょうじつ>で入信したとしても、そんな信仰は一朝困難<いっちょうこんなん>にぶつかれば、動揺<どうよう>してたちまちはげおちてしまいます。ですから、信仰に入るには、あくまでも自分自身から納得<なっとく>したものでなければなりません。それでこそ信仰が身につくのであります。遊び半分で信仰し、ご神徳<しんとく>をいただこうなどというずるい考 えでは駄目です。

「栄光 三九九号」