『治してやるよ』と簡単に

 昭和十四年四月、四才になる長女が急に足を痛がるので、病院へ連れて行って診察してもらったところ、いきなり「これはカリエスだ。これはいかん」と言われ、レントゲンをとりますと、なるほど右の大腿骨に大人の親指の先ぐらいの大きさで、二ヵ所が黒くなっています。「ほら、このとおり骨が腐っている。いまからは絶対安静にしなさい。学校へ行くまでに、これがうまく固まると、足を引きずる程度でかよえる。もし私の言うことを聞かないで歩かすと、腿の付根から切断することになる」と言われました。

 その時、カリエスで体の弱かった知人にしばらくぶりで逢ったところ、非常に元気なのです。聞いてみますと、救世教の先生に治してもらったと言うのです。場合が場合だけに、すぐその先生に来てもらって相談しました。すると、「とにかく大変だ。明主様のところへご案内してあげるから、そこで浄霊いただくとよい」と言われ、早速その日、上野毛へお連れいただいたのです。

 明主様にわが子をお見せすると、『あっはっはっ』とお笑いになって 『ああ、そんなものなんでもない。すぐ治してあげるよ』とおっしゃいました。

 いくら明主様のお言葉といっても、当時日本一といわれた整形外科の先生が、足を切断しなければならないかも知れない、と宣告されたものを、簡単に『治してあげる』とおっしゃった時は、そんなバカなことがあるものかと、むしろ反抗的な気持になりました。

 明主様は右の大腿部に向かって、手をかざされ、しかもたった二分間で、『もう治ったよ』といわれるのです。常識では、その仕方が病気を治すという方法ではなく、しかも、時間が三十分とか、一時間なら話はまだわかりますが、ほんの二分で、『もう治った』でしょう。ほんとうにあっけなく、“ありがたい”という感じが全然湧きません。普通ですと、親なら、それほどの子供が“治ったよ”と言われれば、“ワッ”と泣き伏すぐらいの感激に震えるのでしょうが、私は逆でした。ボーッとして“なに言ってるか”──こういう気持でした。

 ところが、全然歩けなかったわが子が、宝山荘を出ると、玄関から駅までの約一〇〇メートルを、私より先に、それも走って行くのです。電車に乗って帰る時も、長いあいだ歩けなかったのが歩けるようになって嬉しいのか、電車の中を縦横に動きまわっているのです。家へ連れて帰ると、家内は大変驚き、嬉しさに喜び切っていましたが、私自身はどうしても信じられません。そこで試してやろうと、夏には海水浴に連れて行ったり、秋には高尾山に連れて行って、山の中を歩かせたりしましたが、なんともなく、初めて治ったという気持になれました。