初めてお伺いしました時、明主様はお花をお活けになっておられました。そして、床の間の掛物を取り換えたりしてお支度をしておられました。
これは最初の時だけでなく、その後いつ伺っても明主様みずから花を活けたり、掛物を取り換えたりしてご用意されていました。そして、『きょうは、これこれの道具が手にはいったから、これで稽古をしてほしい。ゆっくり鑑賞してほしい』と言われました。
いつだったか二代様から、仁清の重茶碗でお茶を点て、明主様に差上げてほしいと言われたことがありました。
その時は先代官休庵宗匠もいらしたので、いろいろお話を伺いながら召上がっていただきましたが、その茶碗のお取扱いの丁寧さには、びっくりいたしました。
この時には、お茶を習っている私の方がはずかしく思ったくらいで、明主様はお茶の心得がなくても、ちゃんと知っておられるのです。
私も明主様にお出しするときは、人一倍気を使い、先代宗匠先生にもよく心得を教えていただいてお出しするわけですが、明主様はたいていお昼をお召上がりになったあとで一服召上がるのが普通でした。そして召上がるとすぐ引込んでしまわれます。
そんなわけで、明主様はお点前はなさいませんで、私どもが伺うと、お華室の方へ挨拶程度に、ちょっとお顔を出されるくらいでしたが、お話が非常にお好きでいらっしゃいましたし、先代宗匠先生も、歴史がとてもお精しく、特に墨蹟に精通でしたから、明主様はよく宗匠先生から歴史のお話を興味深く聞いておられたようでございます。
私も明主様からいろいろなことを教えていただきました。道具の扱いなどでも、私が申し上げなくてもすべてご存じで、その扱い方を拝見して、丁寧に心をこめて扱われておられるそのご態度にも、お心が現われていて、〝よく出来たお方だなあ〟と感心したこともあります。
そして、私が他の所で釜を懸ける場合など、お話申し上げますと、二代様とご相談なされ、『きみはどれがいいと思うかね』と言ってご心配下され、気持よくいつでも拝借しておりました。さらに懇切丁寧に、この花器にはこの花が、この掛物がと細かいところまでお教え下さいました。なんだかありがたすぎて、〝こんなにまでして拝借していいものかしら〟と思ったくらいです。
普通でしたら、何百何万とする高価な品物ですから、あまり貸したがらないのがほんとうですのに、そんなことは少しも構わず、いたってキサクに貸して下さいました。しかも、そういう品物を拝借します時は、ちゃんとお使いの方に私の家まで持たせて下さいました。そのご親切さといったら普通ではございませんでした。普通の方では、あそこまでなすって下さいません。
二代様も明主様を徹底的にご信頼しておられ、なんでもご相談して決めておられました。はたで拝見していても、あれほど仲のよいご夫婦は、そうざらにはないと、いつも感心しておりました。
たとえば、そんなことはご主人に相談しなくても、二代様だけでお決めになってもいいようなことでも、必ず「一度先生に伺ってから」と、なんでも明主様とご相談になっておられました。
ですから、おふたりのあいだには嘘というものが少しもなくて、〝ほんとうにいいご夫婦だなあ″と羨ましく思っていました。
明主様から私が無言のうちにお教えいただきましたひとつの例として、こんなことがありました。
私が碧雲荘へ伺っている時分、やはり二代様の長唄の先生として吉住小三郎先生(現慈恭氏)も出入りしておられましたが、ある時ご一緒になった暗がございます。
私が伺う時は、たいてい朝早く伺うのですが、ちょうど吉住先生とご一緒になった時は、初めて二代様からご紹介いただき、先生もご一緒に稽古をはじめられましたので、いつもそのご主人である明主様に、ご挨拶申し上げてからお稽古をはじめるのですが、ついうっかりして、明主様のご挨拶をし忘れてしまいました。
そのうち明主様がお稽古の席へちょっと顔を出されましたが、いつもに似合わず、とてもご機嫌が悪かったのです。私はどうしてだろうかと考えてみましたが、理由がわかりませんでした。
そのうちに、ハタと、〝そうだ、もしかしたらご挨拶しなかったためではないか″と気づきまして、早速明主様のところへ伺い、「大変申し遅れてご挨拶もせず、お稽古をさせていただいておりますが、今日はありがとうございます」と申し上げますと、〝ああ、そこへ気がついてくれたか″というお顔つきをされ、それから一ぺんにニコニコしてふだんの明主様になって下さいました。
そういう、道でない、そこのご主人にご挨拶もせずにいるということは、人間のクズだと自分でも気づいたわけですが、ひと言の注意も受けなかったのですが、やはり間違ったことは間違ったこととして、無言のうちに教えておられるわけで、こういう人間としてのあり方について、ずいぶん教えていただきました。
その時は、私は改めてお詫びに行ったのです。そして、「申しわけありません。大変失礼なことをいたしました」と申し上げると、明主様は目にいっぱい涙をためて、『わかっていただけましたら、もういいですよ』とひと言おっしゃられ、それはそれは慈愛のこもった眼差しで、〝気をつけなさい″と言外に言っておられるようなお眼でした。その時私は怖いというのではなしに、慈愛深い眼の輝きに圧倒されてしまいました。
あとで二代様にも、「私の不行届きで大変失礼なことをしてしまいましたので、あなたからもよくお詫びして下さい」と申しますと、「なにいいのよ、わかればそれでいいんだから」と言われましたが、すんでしまったらそんなことは少しも意に介されず、なんておやさしい方だろうと思えるほど、いつもの明主様になっておられました。
長いあいだのおつき合いで、ああいうお立場におられて、信者さんにはいろいろ教えておられても、私には一度も信仰の話はされませんでした。
しかし、そのご生活態度を見ていて、こちらが教えられること、また自然に信仰的感化を受けていくことなど、やはり明主様は〝お偉い方だなあ″と、つくづくいまになって思っております。