昭和二十九年の夏ごろのことですが、『日光殿の庭から見て紅葉の上に神山荘が見えるように造園せよ』とのお指図が、明主様からありました。
それで、早速、山紅葉約百本を買い取りまして、秋には、光明台下の敷地に仮植えしました。
けれど、二代様が、“雑木の中でも残せるものは、なるべく残してほしい”とのことで、その造園もそのままになりました。
その後、明主様は熱海にお帰りになり、ふたたび、紅葉台をつくるように、植木屋さんにご命令がありました。そして、雑木の中でも、切るものと残すものとを選び分けるため、ご自信で箱根へお出ましの予定でしたが、延び延びになっているうちに、翌年二月、ご昇天になられました。
それからまた、『あの大きな山桜のあるところ(奥津城の前)と光明台の大棒のあるところとは、ケーブルを挟んで、とも”“明主様のお車、瑞雲郷に向かう”との連絡がありました。
私はただちに、造営事務所からお座ぶとんを持って来て、景観台に上がりお待ち申し上げておりました。
まもなく警笛とともにお車が、スーッとお山に上がって来ました。お車よりは明主様、二代様、お嬢さま、おばさまとお降りになられました。明主様は、植木屋さんの報告に一々おうなづきになり、また、いろいろ今後のお仕事のことについて、お命じになられた後、晴々台に向かわれました。お迎え申し上げている奉仕隊員に、『ご苦労さま』とお声をおかけ下され、晴々台附近の工事の進んでいるのをお喜びになりました。
それから景観台に下られ、新道路をお歩きになられました。景観台下の道路からツツジを植えられる山を仰がれ、お側にひかえている植木屋さんに、『今年中にツツジは植えられますか』「さあ、少し無理かと思われますが、来年の春までなら出来ると思います」『ここへ植えるツツジだが、箱根も将来相当必要になるんだが……』「それでございましたら、伊東に二千本ばかり良いのがありますが、かえって箱根よりも、運ぶのに便利と思います」『種類は?』「種類はいろいろございまして、箱根にないものもあります」『それはいい、それを早速買いなさい』「それに、この下へ植える寒桜ですが、この辺では非常にめずらしいのが見つかりました……」このようなお話があった後、梅園に行かれました。植木屋さんに、『この梅は実がなるんですね』「はあ、熱海市の梅園のは花梅ですから実がなりませんが、ここ(瑞雲郷)のは全部なります」『やはり実のなる梅でなくては、香りがしないからだめですね』
最後に、一番下の造営事務所のそばにツツジの仮植されている所へ行かれました。そして、『ここへは、将来中国風の大きな池を作ることになり、大きな石を使うことになるが……、ありますか』と植木屋さんに問われました。植木屋さんは、「はあ、景観台から運ぶよりも、別のところから運んだ方が楽かと思いますが……」『ああ、じゃそうしなさい』と申され、お気軽にお車にお乗りになりました。