『御教えは身魂相応に受取れる』というお言葉がありますが、御教えは真理である以上、(真理とは道であり、神の律法でもありますから)無限に深いものでありますから、こちらの理解程度に受けとらせていただけるのであります。
ちょうど、美術品を見る鑑識眼と同じです。いくら立派なものでも、これは観る人の理解程度にしか受取れないものです。このことについては、いまでも、まざまざと思い出すことがあります。
それは夜遅くでしたが、明主様にご挨拶に碧雲荘へ伺った時のことです。ご挨拶がすむと明主様は、うしろの床にかかっている掛物をふりかえられて、『これはどうだい』とおっしゃいました。
絵のことは何も判らない私は、ハッと緊張して床の一幅を眺めましたが、さて、どう申し上げたらよいものか、さっぱり判りませんので、ついに、「よく判りません」と申し上げましたら、明主様は、『豚に真恥だね』とお笑いになったことがあります。
あとで、それは速水御舟の名品であったことが判りましたが、御教えが智慧証覚に応じてとれるということは、このようなことではないかと思います。
『美術品も、一級品を多く見ることが鑑識眼の上がる秘訣』とおっしゃることと同一ではないかと思います。