メシヤ観音

 今度奈良に行って分ったけれども、聖徳太子は観音様ですね。太子はやっぱり私だったんだね。分ったんです。夢殿の扉が丁度開いてーーあれは一年に一ペんという事に、確かなっているそうですが、あの時に観音様の霊が私にーーまあ、入って来たんですね。それで分った事は、つまり今まで時を待って居たんですね。

 というのは。奈良という土地は仏教の発祥地であるし、大体あそこから仏教というものが始まったんです。だから奈良のお寺の事を色々聞いて見ると、つまり何宗とかいうのは未だ出来ていなかったですね。あの事を、仏教哲学では原始宗教というんですね。それから、原始宗教の次に出来だのが山岳仏教ですね。これは弘法大師が高野山に行ったり、伝教大師が比叡山に行ったり、山岳仏教ですね。それから宗派仏教になって来たですね。

 だから奈良時代の宗教は、大抵観音様が中心ですね。阿彌陀、釈迦ー色々あります。薬師如来はやっぱり観音様ですからね。ほとんど観音様中心だったですね。

 つまり聖徳太子は千手観音の小さい型なんだからね。で、私か今行っているのは、千手観音の働きなんだからね。だから、何んでも無限に色々な事をやっているね。そうして、今まで救世(メシヤ)観音が夢殿に居られ、しかも段々聞いてみると、夢殿というのは聖徳太子が始終あそこで書き物したり、生活をして、あそこが住居みたいになっている。それが夢殿と言ってーー夢というのが面白いと思うんです。

 つまり、その時の聖徳太子の夢がいよいよ実現する事になったんだろうにね。普通、ちょっと夢なんて名前を付けるものではないですがね。何とか意味のありそうな、正面な名前を付けるものですがね。

 それから救世観音と書いてあるんですね。救世観音というのは救世(グセ)観音と言って、これは文献にあるんだがね。

 それを「メシヤ」と読んだのは私なんだから、今度行ったのは非常に面白いですね。

意味がある。丁度扉を開ける日にぶつかったという事は、もうちゃんと、神様の方では決まっている。予定は翌る日だったんですが、早く済んだので、何でもかんでも法隆寺を見ようという事になった。法隆寺を出来る丈やって、あとは明日にしましょうと言うが、しかしもし明日になっていれば、救世(メシヤ)観音は見れなかった。やっぱりそうい事になっている。

 奈良というのは、言霊から言っても、「ナ」というのは地になるんです。「ラ」というのは拡がるという事ですからね。やっぱり「ゴーラ」と同じですね。「ナラ」というは、地が拡がるという事です。お釈迦さんは土のミロクだからね。地は七だからね。七のミロクになる。だから、今度京都に地上天国を造るというのは、箱根が五で、熱海が六で、京都が七だと、そういったミロクの意味になるんです。

(中略)

 「そう致しますと、明主様を中心とする信仰は、救世(メシヤ)観音を中心として崇める、という事で解釈して宜敷いので御座いましょうか」

 いや、しかし観音という名前だと、未だ化身だから本当の力は出ないんです。神様が経綸するんだからね。今度の救世(メシヤ)観音というのは、聖徳太子が救世(メシヤ)観音になっているんです。

 今度はいよいよ時期が来て活動を始める。活動を始めるには、矢張り自分が仏を作られたので、今度は仏を元の神様にしたり、こちらのーーメシヤ教の為に働かせたり、そういう事をやります。

 メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神ーーエホバですね。

「御垂示録9号」 昭和22年05月01日

御垂示録