箱根のお茶室 (山月庵)は、木村清兵衛さん、大工の大木さん、それに左官の方は大体私という三人で造らせていただきました。 先生(明主様)はとてもご趣味の広く深いお方だと思います。ときどき建築場へおいでになりましたが、『ああ、いいね』とおっしゃって、ご満足気にお見受けしました。
この『ああ、いいね』にはとても感じがありました。というのは、私は松永さんとか岩崎さんとか、それから団さんとかいうお屋敷へ出入りさせていただいていましたし、そんな関係であのお茶室もやらせていただいたのですが、先生が、『ああ、いいね』とおっしゃるお言葉の中に、とてもわかりのいいご趣味のお方だという感じがこもっていて、私の胸にしみ込んで来るんです。
あの茶室は、坪当たり大工が五、六十人かかっているでしょう。普通の家は、十二、三人です。このことひとつでもわかる通り、あれだけ立派なお茶室は、いまではもう出来ないでしょう。先生は私たちの仕事に深く暖かい理解をもっていて下さったので、とても気持よく、愉しんで仕事をすることが出来ました。
その木村さんも大木さんも、すでに亡くなって、私だけが残りましたが、あの山月庵を造らせていただいた時の思い出は、一生忘れることが出来ません。