瑞雲郷の道路造営については、明主様はよく、『ここは世界中からいろいろの人が集まって来るところだから、思い切って広い道をつくれ』とおっしゃっていました。
現在立派に出来ている、石雲台(美術館の予定敷地)の横からツツジ山の下を通って、救世会館へと通ずる広い自動車道絡も、明主様の構想によって工事したものですが、再三修正して現在のように出来上がったものです。最初は地形上現在のようには無理でしたが、明主様のご構想は、最初からハッキリしておりました。この道路は残念なことに、ご在世中には出来上がりませんでした。
とにかく、『海外からも多くの人が来るところだから、何を措いても巾の広い自動車道路をつくらなければならない』とおっしゃっておられた明主様は、道路ひとつにも雄大で、合理的なお考えをもっていられたのです。
そして道路をつくる時は、その勾配から幅員まで、すべて明主様のご指示を受け、こちらで縄を張った上で、ごらんを願うわけですが、私どもは、最初は明主様のご構想に、無理があるように考えられた時など、とかくグズグズしていると、『あすこはまだ出来ないのか』という催促を受けます。
そして、“ああでもない、こうでもない”と、こちらで修正して、ようやく出来上がってみると、なんとそれが、最初に明主様のお考えになった通りのものになっている──ということもよくありました。
こういうように明主様は、実にカンが鋭く、最初にスパッとおきめになるのですが、こちらは頭が悪くて、どうもその通りにはすぐ出来ないということがあります。明主様としては、費用や日数は問題でないのですが、こちらはそういうことが頭から離れず、ついグズグズしていて、「まだ出来ません」などとお答えしてしまうのです。
そして、二度も三度もやり直してみると、それが最初のご指示どおりのものになっているのですから、全くびっくりすることばかりでした。
なお、明主様は、道路をつくるにも、戻る道はおきらいで、歩道の設計にも戻り道は禁物でした。