私が初めて教祖にお目にかかったのは、戦後、それもまだ世の中が落ちつかないころでした。はっきりおぼえていませんが、なんでも熱海の広いお座敷で、教祖と私のほかに幹部や信徒の人がすわっていました。
その人たちが、教祖にいろいろなこと──宗教ばかりでなく万般のことについて質問していました。それに対して、教祖は全く驚くほどの早さと明快さで答えられていました。
私もいろいろの教祖に会っていますが、救世教の岡田さんほどの人にはお目にかかったことがありません。ほんとうの人間に会った──という感慨です。
これをたとえてみれば、村正の銘刀です。切れ過ぎるくらい切れる村正なんです。まさに快刀乱麻というところです。しかし、ことわっておきますが、村正を妖刀だという人がいますが、私は銘刀の中の銘刀という意味で、教祖のことを言っているんです。
その席上、私はむしろ驚きをもって、教祖の答えを聞いていました。全く一刀両断的な答えです。こういうことの出来る人は、めったにいません。私はそばにすわって、感に堪えて、ただ聞いていました。
そもそも、一宗の教祖というものは、努力や勉強だけで出来るものではなく、そういう資質、天禀をもって生まれて来た人だという確信を私はもち続けています。そして岡田さんも、正にそういうお人だと思っています。
いま、一刀両断といいましたが、大きな慈悲というものは、表面冷酷にして見えるもので、教祖も一面には冷酷と思われるようなやり方をなさったと思います。一方では、非常にやさしい方だったでしょうが……。これが、ほんとうの慈悲なのです。
とにかく、非常にすぐれた人というものは、ふたつの面を同時に兼ね備えてい
るものです。岡田さんの真っ向から一刀のもとに斬りつけるというようなやり方──これを冷酷と見るのは間違っています。
それから、これは私が直接教祖から伺ったことですが、その昔、大本の出口王仁三郎氏が一頁大の新聞広告を出して、大本宣揚の講演会を神田の錦輝館で催したことがあるそうです。たしか大正の中ごろと思います。その講演会へ、教祖は出かけて行かれました。“どんなことを話すか、ひとつ聴いてみよう”というような気持だったんでしょう。それが一応、教祖と大本のつながりになったのではないでしょうか。それまでも、大本のことは噂で知っていられたでしょうし、興味をもっておられたと思いますが、この日の講演で大本への直接の関心をもたれたのでしょう。ですから、何か差し迫った問題の解決の糸口を見つけようとして行ったというのではありますまい。それよりも多分に気負った気持で行かれたのだろうと想像されます。