神力=火・水の力(火・水=光)=太陽の力={・}(丸にチョン)の力

 ただ、今までなかったのは、神の力の、「神力」です。全然ない事はないが、薄かったのです。強く発揮ができなかったのです。というのは、夜の世界のため、つまり月の光は、光からいっても太陽の六十分の一ですから、余程弱かったのです。それがいよいよ時期が来て、今度は火の力、太陽の力になって来たのです。それが昼間の世界と言うのです。

 それで浄霊して病気が治るという事は、「太陽の力」だからです。今までは、救世教のように、病気を治すという力はなかったのです。というのは月の力だからして、見らるるとおり、本当に病気を治す力はないし、それからまた、病気というものの根本は何か、という事も発見されていなかったという事は、力もないし光も薄いから、つまり見得る事ができなかったのです。

 それが根本だから、それが分れば、浄霊で病気が治るという事も、訳なく分るわけです。それで救世教の信者は、キリストと同じような奇蹟は、毎日のようにやっているという事だけでも、その力たるや、大変なものです。

 それで今までは、宗教が本当に救う事はできなかったのです。現在救われているのは各宗の教団の方です。仏教にしても、仏教がその信者を救っているのではなくて、その本尊が信者から救われているのです。これは別に悪口を言うわけではないので、事実を言っているのです。というのは闇の世ですと、月の光だけでも結構なのです。だから闇の夜道を歩いている人は、月の光によって、とにかく安全に歩けるというわけです。

 そこに、だんだん太陽が出て来ると、月の光は薄れて来、ついには無くなるというわけですから、そこで、霊界では非常に明るくなって来ているから、月の光というものが、もう駄目になったというわけで、それが現われているわけです。

 だからして、結局火の力を行使する事は、私という者が出て、初めてその力を与えられたのです。つまり「力」です。

 ところが「力」というものと「光」というものは同じなのです。つまり「火」と「水」の密合したものが「光」でありまた「力」なのです。

 だから「力」という字はよくできてます。経と緯、火と水が、十の字に組むのです。そうするとそこに、スーッと曲線がつながって、跳ね返ってますが、とにかく、文字というものは神様が造ったのですが、実によくできてます。

 ですから、文字と言霊が分れば、宇宙のいろいろな神秘は分るわけです。私はそういう事を書こうと思ってますが、どうしても書けないのです。やっぱり神様はどうしても、それを分らしてはいけない事があると見えます。

 そこで経が先で緯が来て結ばり、曲って、跳ね返っているが、これは左進右退のリズムが現われてます。

 ですからさっき言ったとおり、この地上天国の模型が中心になって、左進右退的活動が始まるという事は、これが「真の力」なのであります。つまり救世教というものは、力の宗教と言ってもよいのです。

 この力が本当の「神力」です。経緯結んだ火と水の力です。

 「力」は「火」で、「ミ」は「水」ですから、「カミ」の力です。

 この力を行使したという人は世界肇って以来ないのです。

 それで言霊から言うと「シン」の言霊返(タマガエ)しは「ス」になりますから「神力」は「主の力」とも言えます。

 それで何時も{・}(丸にチョン)は丸にチョンと書きますが、チョンが火で、丸が水になります。太陽の黒点はチョンになります。学者はあの黒点を研究していますが、それは今言った事なのですから、こっちは別に研究の必要はありません。

 この太陽の黒点のチョンが大変なものです。つまり「宇宙の魂」です。

 果物なら「種」です。

 それで今までの世界はチョンがなかったのです。丸だけだったのです。要するに空だったのです。

 それでいよいよ私か、世界にチョンを入れるわけです。この神仙郷はチョンなのです。ポチなのです。その意味において非常に重要なわけなのです。その始まりの今日は、非常な意昧があります。

「御教え集第23号」 昭和28年6月15日

御教え集