一宗の教祖として何十万の信者を統率しておられる明主様ですから、そのご日常もさぞかし神室探く閉じこもられて、俗事には一切耳を藉さず、ひたすら御神業に専念しておられるご日課だと考えがちですが、そのような斎戒沐浴的な生活の一片すら見受けられませんで、すくなくとも外面的には、きわめて平凡そのもののご日常です。
お仕事をされる部屋といっても、そこに取り立てて信仰的な飾りつけがあるわけでなく、たとえば、床の間には山水の幅がかけられ、花が活けられ、中央に机、隅にラジオ、書棚という簡素な書斎部屋でした。
このような、あたりまえなご生活の中で、人類救済という大聖業が、すこしの淀みもなく物凄いスピードで進められているのです。
ただ、際立ったひとつの特徴として、明主様は神人合一のご境地で仕事をされておられましたから、そのお屋敷のどの部屋にも、御神体その他、信仰的なしつらえというものは全くありませんでした。従って奉仕者は、常に明主様を一心に見つめ、明主様に焦点を合わせて、信仰練磨をしていたわけですから、朝夕真剣にならざるを得ません。
明主様はよく、『私から目を放すな。ただ一心に私を見つめて、命がけで仕事をやってくれ』とおっしゃっていました。ですから、いつも心を張りつめて、充実した体制で臨まなければならないのです。
そして、明主様は、奉仕者に御用をお命じになる場合、その人の能力に応じた与え方をなさいました。そのかわり、与えられたその御用に対しては、『徹底的に、ありったけの能力を出し切ってやってくれ』とおっしゃいます。
たとえば、墨をする御用を与えられたなら、墨すりに関しては、自分の右へ出る者はないという人間になることを要求されるわけで、明主様はいつも、『偉い人間にならなくても、私に言われたことが着実にやっていける人間になってくれ。私の言う通りに動けるようになれば、それは英雄だ』とおっしゃいました。
またある奉仕者が、明主様が御神体を書かれる時に支度の遅れたことがありました。その時明主様は、『私はあんたに、このことだけを言いつけてあるんだから、これだけはどんなことをさしおいてもしなければいけない。私の頼んだこのことさえ出来れば、あとは昼寝しようと、遊びにいこうと、あとの時間については、私は決して文句は言わない』とおっしゃったことがあります。
それくらいですから、お叱りを受ける場合は、かならず信者として法に叶っていないこと、理屈に合っていないことを、想念や言動にもった時なのです。
法に叶っていないということは、結局、明主様に焦点が合っていないということで、『一心に私を見つめてやってくれ』というお言葉は、取りも直さず最善の気くばり、心くばりをもたなければならないという御教えです。
この気くばり、心くばりは、もし心の中に厘毫の隙があっては、どうしてももてないものです。そういう隙を、明主様は烈しく切り込んでこられるわけです。明主様に焦点を合わせて仕事をしなければならないということは、明主様ご自身が神様に焦点を合わせて、そのご日常を規制していられるからです。
明主様は時間ということを、非常にやかましくおっしゃられました。それはご自身で、はなはだ多方面のお仕事をなさっておられたからでもありますが、人間の道として信者にもきびしく守るようご教示になっており、そのご日課は、時計の針のような正確さで、一日々々が仕切られていました。
これからお伝えするご日課は、ご晩年 (昭和二十八年ごろ)の熱海碧雲荘でのものです。