昭和二十九年十二月二十三日、明主様御生誕祭に、私は本部員としてお使いいただきましたが、当日、目のあたりに見させていただきました、ひとつのことを書きたいと思います。
私は当日、会場係をさせていただくことになっておりました。朝早い列車で着かれた信徒の方々は、みな暗いうちから救世会館へ集まって来られます。寒さに加えてかなりの強風であり、会館には早目に入場を許されていることと思いまして、会場の中がどんなかと、六時半ごろ会館に着くように出かけ、稲妻階段下で車を降り、会館の正面玄関からはいりました。
その時、ちょうど太陽が海から上がって来る間際で、玄関に着きまして振返ってみましたときに、半分だけ出ておりました。その際、約七、八十人の信徒の方々がご来光を拝もうとして、みんな「きれいだな、きれいだな」と口々に言い合っておりますので、その声をききがら私は中にはいって行きました。
その時です。会館の中ほどに行きました時、太陽の光が会館のお床の間全部に写っておりました。その様を映写機にたとえて申し上げるならば、太陽が光源で、救世会館の玄関の入口全体の大きさがレンズの口径、床の間がスクリーンの中央というように見られました。
それで、“ああ、実によく太陽の光が床の間だけにぴったりはいっているな”と気がつきますと、あまりの不思議さに振返って太陽の方をみましたら、これがまた不思議。玄関の大きさ一杯のちょうど中央に太陽がはいっておりまして、日本の国旗“日の丸”そのままに拝されまして、何か神秘なものを感じたのであります。
ただそれだけのことですが、私がそのとき感じましたことは、きょうの明主様御生誕のお祝の日に、しかも、数時間後に御神体が奉斎されますそのお床の間全体に、太陽の光がはいったということであります。
また、海面から上がった瞬間の太陽と、救世会館の玄関と、お床の間とが一直線に並び、さらにこの三者の位置と大きさが寸分違わずにぴったりとマッチしていたことであります。まことに感激したひとときでありました。