教祖らしくない教祖

 私の教祖に対する印象は、いつも同じで、裏表のない、正直な、庶民救済と地上天国実現を悲願とする大理想をもっていられる方らしく、常に天真らんまんで、教祖らしくない教祖であり、その純真な人柄はまことに尊いと思います。

 とにかく、教祖はキリストや日蓮とくらべても遜色のない人物で、その衆生済度の大願は神々しいくらいです。それは教祖の天性の資質によるもので、努力だけでは開拓できないものが多いと考えます。今日の世には珍しい偉大な人材だと思います。

 と言って、決して超絶的な冷たいものは感ぜず、話していると、ホノボノとした暖か味を感じました。円満な風格で、一部の人が言うような気短かなところなど私は感じませんでした。ゆとりのあるノンビリした気持で、私はいつも教祖の話を伺っていました。

 また、別の言い方をすれば、自由奔放な人で、謹厳な人という型ではなく、それこそ天衣無縫で、自由闊達、その話しぶりも談論風発といったものでした。

 熱海へ伺いますと、よく教祖は、『めし、食いに行こうや』と言われて、食事を一緒にしましたが、私が政治家であるからといって、特に政治の話はされませんでした。

 ただ、『政治というものは、宗教的情操を根拠としたものでなくてはいけない。だから政治家は身を憤しんで、人間としても立派な存在でなくてはならぬ』とよく言われました。

 教祖が苦労された方だということは、私は他の人からは聞かされていましたが、教祖の口からは直接聞いたことはありません。

 陶磁器の話は、私が瀬戸の者でもあるので、よく伺いましたが、教えられるところが多かったと思います。その鑑賞力は玄人はだしではなかったでしょうか。