ある日の御書のお仕事の際、つぎのように仰せられました。
『墨の濃さは、うすいようでもあるし、濃いようでもある。濃いんだか、うすいんだか判らない、そういう濃さが一番いい。これが出来るようになれば英雄だ。普通の人は、濃いって言うと、うすくしすぎるし、うすいって言うと濃くしすぎる。そういうのを極端居士っていうんだ。──政党でも、右派だの左派だのと別々になっているのは、まだほんとうじゃない。──ちょうどいいっていうのは実にやさしい。みんなは難かしいっていうけど、これぐらいやさしいことはない。私のしていることはみんなそうだ』
“ちょうどいい”ということが、天国的状態であることは判らせていただいておりますものの、私どもは、何か事にあたった場合に、とかく極端な地獄的状態に傾きがちであります。