初めて熱海の東山荘へ呼ばれた時、今度このお屋敷(それまでは山下亀三郎氏の別荘、私はそこの出入植木職)を買われたのはどんな方だろうと思いながら伺いました。しかし、その時は明主様のおえらさというものが掴めないままで戻りました。
その後、山の上(現在の瑞雲郷)で、明主様のご構想をお聞きしました時、初めてこれは普通のお方ではないと思いました。
私も植木職として、その仕事の上では、遠慮せずに自分の意見を申し上げましたが、明主様はいつも黙って聞いておられました。そして、『よかろう、よかろう』とおっしゃるのです。
こういう場合、たいていの人は、「そんなことを言ったって……」というものですが、明主様は、私という一植木職の言うことでも耳を傾けて下さいました。
明主様は下駄ばきでその山を歩かれました。
私は地下たびをはいていましたから、下駄ばきの明主様に、「危なくありませんか」と申しますと、『いや、おまえこそ大丈夫か』と反対に心をくばって下さるのでした。
当時、東山荘でよく奉仕者と一緒に映画をごらんになられましたが、映画の途中こっそりと抜け出して、瑞雲郷へ来られたことがありました。そして、『おまえ案内しろ』とおっしゃって、ふたりで山の中を歩き廻ったこともあります。映画が住んで明主様がおられないのに気づき、奉仕者が大騒ぎをして探し廻ったそうです。
また、ある時、東山荘で明主様に、「私は植木屋ですから、か土木工事の方が出来てからお世話になります」と申し上げたことがありました。すると、明主様は、『いや、初めから工事についていなければだめだ。出来上がって来たのではロクな仕事はできない』とおっしゃいましたが、構想は大きく、仕事は入念にとでも申しましょうか。とにかく、明主様ほど、高く大きなお方にお目にかかることが出来たのは、私の一生の光栄、しあわせです。