口述

 さて、新聞が終わりますと、午後零時ごろから、ご自身の論文の口述をされます。

 この口述筆記の模様について記しておきますが、明主様のご晩年、この筆記を命ぜられていた係の者の話によりますと、その人が最初にその御用をいただいた時、明主様は『これから、私がおまえを呼んだ時は、必ず原稿の用なのだから、万年筆と原稿用紙をもってとんで来い』と言われたそうです。

 それで、どこでお呼びになっても、その人は万年筆と原稿用紙をもって伺うことにしていましたが、明主様は、たとえばお手洗でも、お湯殿でもお呼びになる場合がありました。庭からお呼びになることもあります。

 どんな場合もペンと紙とをもって駆けつけます。そして、明主様は、書きたいなとお思いになる御論文の題名がフッと頭に浮かばれると、どこからでもお呼びになって、その題名だけを書きとめさせられるわけです。

 そういう題名が、いつも三十や四十は溜まっています。明主様は夜分ご口述に先立って溜まっている題名を読み上げさせ、全部お読みすると、その中のひとつをお取上げになり、『それを書こう』とおっしゃって、それからはまるでテープレコーダーでもかけたように、なんの淀みもなく口述されるのです。中には一ヵ月も前に書きとめた題名のものもありますが、なんの苦渋のお色もなく、すらすらとお話になります。係の者が一節々々書き終わるのを待って、また続けられるというふうです。

 原稿用紙三、四枚の御論文が一番多かったようで、ひと晩に、それを三、四篇おつくりになります。

 大祭のお歌の場合などは、一週間ぐらい前にお願いするのですが、お願いしますと、『うん』と返事されて、一、二分後頭部をご浄霊されながら考えていらっしゃいますが、『じゃ、ペンをもって』とおっしゃって、それからは超スピード、三十首ぐらいでしたら二十分間ほどでお作りになりました。

 また、この御論文の口述にたずさわったことのあるひとりは、明主様のご文章について、つぎのように書いています。

 ──あの名作は、流れるがごとく述べられる。いささかの苦渋の色もなく、楽しまれるがごとくお口から迸る。それを筆記するのであるが、たいていは二、三回の推敲によって完成する。その文章は、実に流麗で、平易簡明、だれにでもその裡の真理を把握させ得る普遍性をもっている。あの飛躍的卓見を、易々として巧みに説かれる。真髄そのものが、実に直裁的に一貫されていて、いかようにも外殻をつけ得るのである。

 軽妙一言、痛烈活人の寸鉄のごときあり。一読心機一転、大愛に包まるるあり。世界を震撼せしむるごとき力に満ち充てるあり。あらゆる虚偽と不幸と罪悪から解放せしめずんば熄まざる烈々たる人類愛に触るることもできる──。

 なお、口述筆記が予定より早く終わりますと、明主様は、信者からのおかげ話や寄書をご聴取になります。この場合、立ち上がられて体操をされながら、お聴きになられることがよくありました。

 はじめてこんな光景にブツかったある奉仕者は、何をなさるのかしらとびっくりしたそうですが、明主様は、『私は食べものでも考えて摂っているが、どうも運動不足でね』と笑いながらおっしゃったそうです。それからは、時間があると毎晩そんな仕草をされましたが、明主様は非常にご自分の身体をいたわっておられたように思います。

 明主様にとって、おかげ話は非常なお楽しみであったようでした。

 そして、それらのおかげ話の中で、空恐ろしいほどの薬禍によって苦しんでいる人が、浄霊によって救われてゆくというような経路を、こまごまと書いてある文章などを聴かれる時など、明主様はいく度となく目に涙を浮かべて感動されました。そういう場合、「もったいなさで身の縮む思いがして、つまる心をグッと耐えてお読みするのでした」と、しみじみ述懐している奉仕者もいます。

 なお、末信者からの明主様宛の手紙も、多い時は一日に七、八通ありましたが、この時間に、それにもいちいち目を通されて、返事の必要な手紙には、ご自身で返事をお出しになりました。