凝り性が幸いして

 岡田さんとぼくとは昔から商売仲間で、旧いつきあいなんですが、かれは昔から物事に凝り性なところがありました。

 いつごろかはっきりしないが、大正末期のころ、岡田さんは神様に凝ってしまって、よく組合の会合などで集まると、神様の話をするんです。

 それで、仲間のあいだでは、“神様”という仇名をつけて呼んでいました。

 商売でもこの凝り性が顔を出して、新しいもの新しいものをこしらえて、どこか他の人々とはちがったところがありました。

 実際、ひとつの仕事に対しての力ってものは驚くべきもんで、物の怪につかれたというか、何かが乗り移ったような凝り方なんです。なんでも徹底しないと気のすまない性分なんです。

 教祖になってからも、ときどき招待されて、箱根や熱海に来ましたが、いつも至れり尽くせりの歓待をしてくれました。

 いつか家内とふたりで箱根美術館へ行ったんですが、そうしたら偶然、岡田さんが兵児帯締めて向こうからやって来るのにぶつかってしまったんです。

 そうすると二、三人の者から、「いま教祖が来るから遠慮してくれ」という前触れがあったそうだが、こっちは知らないからバッタリぶつかったんです。

 別に岡田さんを侮辱するわけではないんだが、昔からの癖で、「やあ、こんにちは」と挨拶したんです。そうしたら岡田さんも、『やあ、こんにちは、お珍しいお揃いで、まあ、ゆっくりしていってくれ』というわけで、ちょっと家の方へ立ち寄ったことがあります。

 庭や美術品も見せてもらったが、あの凝り性が幸いして、こんな大きな仕事が出来るんだ──と感心したことがあります。