『子供が出来そうだ』

 私たちは結婚後何年かが過ぎても、子供がお恵みいただけませんところから、明主様にお伺い申し上げたことがありました。明主様は、『だれが出来ないと申した』とおっしゃいます。

 そこで私は、「みなさまが、よく太っているから出来ないと申されますので」と申し上げますと、開口一番、『おまえは神様を信じておらぬ。ひとの言うことを聞くのか』との一喝に、私は目をパチクリ。トタンに平蜘蛛のように平伏し、「申しわけございません」とお詫び申し上げました。

 すると明主様は、『いまおまえたちに子供を与えると、不幸せな子か、寿命の短い子供が出来るので、神様はお浄め下さっておられるのだ。急がなくてもよい。信仰しておればよいのだ。神様はよいようにして下さる』とのお言葉で、それからは私たちも、子宝のことは頭の隅から捨て去っておりました。が、家内のご浄霊には、特にお腹を丁寧にしていただいたように記憶しています。

 その後、しばらくたったある日、私たちふたりが、お部屋にお通しいただけ、また座に落着かぬうちに、明主様から、『子供が出来そうだな』とのお言葉をちょうだいしました。
 
ご挨拶前と、それに全然予期しておらぬこととて、ご返事申し上げる言葉が見あたらず迷ってしまいましたが、家内がいとも簡単に、「いいえ、出来ておりません。結構なるお言葉をちょうだいいたしまして、ありがとうございます」と申し上げ、それでその話はひとまず打切りとなり、あらためてご挨拶申し上げ、その後お忙しい中を、私たちにまで暖かいお恵みをいただいて退座いたしました。

 そして、その時のお言葉通り、ちょうど、そのとき、子宝を授けていただいていたのです。その後、明主様に、このことを御礼申し上げ、大変お喜びいただきました。