謹直な人という印象

 私は教祖の岡田さんに三、四度お目にかかっています。
 初めてお目にかかったのは熱海のお屋敷で、昭和二十四年ごろ、まだ戦後の物資の不自由なころでした。

 その時、とても大きなシュークリームを出され、それに圧倒されて、食べられなかったことをおぼえています。

 そのほかにも珍しい菓子をつぎつぎと出されて観待を受けたのですが、〝ご好意はありがたいが、こんなに並べられると圧倒されて食欲がなくなってしまいます″と大笑いしたものでした。

 その時、雑談ですんでしまいましたが、最初の印象として残っていることは、宗教家としての印象は特に受けなかったのですが、ただひどく耳の大きな人だなあと思ったことです。

 何度目の時かは忘れましたが、岡田さんと話をしていて、夜の八時ごろになりましたら、岡田さんは、『失礼します』と言って座を立っていかれましたので、奥さんに、「どこへ行かれるのですか」とたずねたら、「二階へ行くんですよ」と言われました。で、「おつとめでもされるんですか」ときくと、「おつとめなんかしませんよ。これから書くんですよ」と言われるんです。

 それで私が、「何を書かれるのですか」ときくと、「光という字を書くんです」と言われました。

 岡田さんとは宗教の話はしたことがありません。美術の話だけでした。でなければ、世間話だけでした。私も一宗の教祖さんに、こちらから宗教の話をぶつけるのは無礼ですからしませんでした。

 岡田さんは、いつも非常に謹んだ態度でものを言っておられました。ですから、岡田さんの印象としては、えらく耳の大きい方だったということだけになってしまうのでしょう。

 岡田さんは、ベランメエ口調でものを言う人だそうですが、そういうくだけたところが私の場合でもあったら、もっとおもしろい話が出来たのにと思います。