いつだったか、ある人の紹介で、〝十代の女の子が油絵を習いたいというている″と言うんです。でも、そんなの邪魔くさいから、知らん顔をしていたんです。
その後、〝近所だから一ペん行ってもいいか〟と言って、ぼくの呪懇の人の紹介で、十いくつか知らないけど、女の子がカンバスや絵具をもってやって来たんです。
それで会ってみたら、ちょっといけそうなんです。ちょっといけるけど、しかし油絵を勉強していくということは、相当費用もかかるしするから、「きみの親はそれだけ費用を出してさせてくれるか」と聞きましたら、「それはさせてくれる」と言うのです。見ると洋服なんかでも割といいのを着ているし、いけるやろなと思ったんです。
そのとき、名前を「岡田」と言って帰りました。そして、またやって来ました。
そんなことからはじまって、そのうち、「きみのとこのお父さんは何しているんだ」と聞いたんです。そうしたら、それが、つまり岡田明主で、その女の子というのがいまの教主だったんです。
ずいぶん長いこと知りませんでした。もちろん本人もパパの商売を言わないし、こっちも聞く必要もない。ただ絵だけ見ていればいいという気持でした。
その絵は来るたんびだけど、非常に進歩が早いんです。ぼくが、「こんなんやってみろ、あんなんやってみろ」と言うと、一生懸命にかいて、それが非常にいい絵なんです。ぼくの家内なんかも、「あれどこのお嬢さんかしら。あの人はプロになれそうね」と言ってました。
そのうち、「うちのパパが庭を作っていて、それを一ペん見せたいから訪ねてくれ、と言われた」と言うんです。
ぼくは、拝んだりすることは知らないしするから、「そんな家だったら」と断ったんだけど、「いや、そういうことと全然無関係で、父も絵を描くので絵の話をする」と言うんです。
それで行ってみたら、絵の話ばかりするんです。ぼくは、しまいまでほとんど絵の話ばかりの友だちであったけどー。
そのとき、『日本の古い人の絵の中では、だれが一番いいだろうか』と言うんで、ぼくは、「むろん光琳だと思う」と言ったら、『おれもその光琳だ』と言うんです。光琳の話をしだしたら、ずいぶん見ていて、詳しいものでした。
ぼくは専門家だし、琳派というのは、日本の古いものの中では一番だと思っているから、そう言いましたら、逆に、『何、琳派のことなら、わしにまかしとけ』と言って、おもしろかった。それからずいぶん、論争したり、時にはけんかみたいなのもしました。
それで奥さんが、あいだにはいって仲裁したこともありました。どっちも一歩も譲らないから、プンとして帰ったこともあります。そうしたら、また様子を見に来るんです。しまいまで、そういうつきあいでした。
とにかく、美術品に詳しかったから、骨董屋が来ていろいろ言うでしょう。「これは、どこから出まして」なんとかとー。
岡田さんは、フンフンと言って聞いているけど、素人扱いしていました。自分の方がずっとわかるから、あとで、自分がとぼけた、その自慢話をよくしました。