肩についていた一筋の髪の毛

 昭和二十七年、箱根美術館が開かれてまもないころのことでした。

 私はその日、心をときめかせて、二階第四室の美術品の前で、時の移るのも忘れて見入っていたのでした。ふと気がつくと、私の周囲にあった静かなざわめきが、潮が引くように消えてしまっていました。もう閉館の時間が来たのだろうかと入口に眼をやりますと、そこに明主様の和装のお姿が拝せられたのです。そして、まるでお散歩のおついででもあるかのように、軽やかに室にはいって来られたのでした。

 観覧室は、明主様お出ましの知らせで室を出てしまったので、急に静かになったことに気がつくとともに、取残された自分をどうしたらよいかと躊躇しましたが、そのためらいが消えるために、長い時間を必要としなかったのです。

 明主様は徳川夢声氏を案内して来られ、とまどいしている私など、意に介されないご様子に、私は救われた思いがいたしました。

 その私の眼前でたぐいない名品が、それらをお選びになった明主様ご自身のご肉声によって、解説されはじめたのです。このすばらしく、貴重な機会が、私に自らを失わしてしまったのです。夢声氏への解説にご余念のない明主様の背後に、近づかせていただく足を、おさえきることが出来なくなったのでした。特に蒔絵は、かつて明主様がご制作なさったことがあられただけに、丹念に制作の苦心などをお聞かせになっておられました。

 ちょうどその時です。明主様のお手が、さりげなく夢声氏の肩の辺に上げられたのです。

 その間も、ケースをのぞき込んでいる夢声氏へのアドバイスを、お続けになっていました。明主様はお指の先で、夢声氏の肩に附着していた一筋の毛髪を、つまみ除けられたのです。明主様が、夢声氏はもとより、私の眼にもとまらなかった一筋の毛髪を、しかも蒔絵のご説明をなさりながら眼にとめられて、気づかれぬように取除かれた、その早業と温かいお心づかいを、同時にお示しいただいたその日のしあわせは、いまでも魂にやきついているのです。

 明主様は、三つの違ったことを同時になさる、と聞かせていただいておりましたが、一筋の毛髪を除かれるご挙措に、そのことをまざまざと見せていただいた思いがいたしますとともに、美術品に対しても、芸術家を過されることにも、信者のすえずえをお思いになることにも、まことに深いいつくしみのお心を、浸みわたらされていることを、確信させていただいたのでした。