私が初めて明主様にお目にかかったのは、昭和十九年の夏、箱根の神山荘でした。お昼ご飯をごちそうになって、昼寝しなさいとか、風呂にはいりなさいとか言われました。それで、風呂にはいって、ゆっくり休ませていただきました。
ところが、帰りの電車の中で、私は下痢を催し、小田原駅の便所にかけこんだことを覚えています。どうしてこんな下痢がおこったのかと思いましたが、あとで聞くと、明主様にお目にかかったあとで、よく人は下痢をおこすのだそうです。とにかく、、えらい下痢でした。つまりは浄化作用なのだと、これもあとでわかったことですが、そのときは、おなかが悪くもなんともなかったのに、どうしてこんなひどい下痢をしたのかと不思議に思いました。
さて、明主様に初めてお目にかかって感じたことは、きわめて平民的なお方だということです。たいていは、一宗を開いた人というと、髪を長く伸ばすとか、妙な着物を着るとか、もったいぶるとかするものですが、明主様は、巻き帯で、着流しで、それで淡々とお話になります。
戦時中、明主様は、『日本は九分九厘まで負けるが、最後の一厘で勝つ』とよく言っておられました。ですから、私は、最後の一厘で日本は勝つと思っていました。ところが負けてしまいました。
ある日、明主様のお宅に伺いましたら、『いま、海軍の軍人が大分来たよ。そして、“あなたは九分九厘まで負けて、最後に勝つと言われ、われわれも勝つと思っていたが、負けたじゃないか”と言ったよ』と、ハッハッと笑われました。
私も、実はそのことを質問しようと思っていたのでしたが、ハッハッと笑われたので、質問する勇気がなくなりました。そこで、自分の胸の中で、これはどういう意味だろうかと考えてみましたが、結局、よくわかりませんでした。九分九厘ということは、もう負けているのじゃないか。あのとき、日本は負けるとは言えないから、九分九厘まで負けるが、幸い最後の一厘で勝つだろうというふうに言われたのか、それとも、これは長い目で見れば、これで日本はほんとうに救われたのだ、霊の世界において勝ったのだというふうに考えて言われたのか、これは、最後まで明主様に確かめないでしまいました。
東山荘でのある日、私は、夜昼転換、火素増量のお話の奥には、深い意味があるとは考えながらもよくわからないので、このことをおたずねしますと、明主様は、『浄霊をしっかりやって、霊を浄めればよくわかるよ』とおっしゃいました。
また、『真理は簡単の中に無限のものがあるので、むずかしく言うのはいけない。教義は簡単でいい。それを研究すればわかる。無心に、何も考えずに手をかざせばよい』と、それを考えながら説かれるのではなく、高く深く偉大なインスピレーションから、自然に出る燃えるようなお言葉に、私は強い感銘を受けました。
清水町の仮本部の二階に、日あたりのよい四畳半ばかりの応接間ができて、そこで明主様にお会いしているときでした。私は昔から首すじがはって、脳溢血にでもなるのではないかと、いつも不安に思っていましたので、そのことをお話しました。
すると、明主様は、『首すじが凝る? どれどれ』とおっしゃって、手を私のうしろにまわして、七、八分、ご浄霊をして下さいました。
それからというもの、今日まで、首すじの凝りは全くなくなって、なんともないのです。それまでは、棒がはいっているように固くて苦しかったのですが、ただ一回の浄霊で、すっかりよくなりました。これには全く驚いてしまいました。
明主様は、『むずかしいことは言わずに、私のいうことを実行すればいいのだ』とよく言われましたが、そのお人となりは、きわめて平民的で、江戸っ子気質をもっていらして、仰々しいことがおきらいで、むずかしいことはおっしゃらないで、ズバリと結論を出される。しかも、奇蹟は実によく見せつけられるので、全く頭が下がってしまいます。