神はあるという人、ないという人、世はさまざまですが、理論<りろん>は人間の作るものでありますから、なんとでも説けます。信仰は理論以前からあるもので、神さまから与えられるものであります。いわば信仰は惟神<かんながら>にうけとらせていただくものなのです。よく救ってやったなどという言葉を耳にいたしますが、これこそたいへんな慢心<まんしん>で、救うということは神さまのお立場からいえる言葉で、人間の使う言葉ではありません。善いことをした場合でも、信仰のない人は、善事をしてやったと思うでしょうが、信仰者は、神さまからさせていただいたのだとうけとるのです。それでなければ感謝報恩<かんしゃほうおん>の心はおこりません。
「栄光 四三八号」