戦時中、私はある土地で布教に専念していました。しかし、少しも成績が上がらず、いっそのこと東京へ引上げようかと思い悩んだ末、このことを明主様にご相談いたしました。
明主様は、私の訴えをじっと聞いていらっしゃいましたが、『そんなに暇なら、琴でも、三味線でも弾いていなさい。神様はいつでも、必要のあるときは、つまみ上げて使うから』とおっしゃいました。
これは、神様は何もかもみなご存じなのだから、あせる必要はない。その時が到来すれば、きっとその人をお使いになる……ということを、明主様はおさとし下さったのだと思っています。