昭和二十五年の五月一日──その日は私の教会の浄霊日で、平素御用にはげんでいる人たちの浄霊をしていましたが、最後の人を浄霊し終わったとたん、私は失神して倒れてしまいました。
寝ていたのは、私の考えではせいぜい二日ぐらいと思ったのですが、家内に言わせると、十五日間も眠り続けたそうで釘も抜けず、紐も切れていないのに、『大経綸』のお額が、ドスンと音をたてて畳の上に落ちました。その昔で、私は気がつきました。
さて、回復してから、このことを明主様にご報告しますと、『あんたのところは間借りだったな』とおっしゃるのです。「はい」と申し上げると、『神様の方で、ちゃんと住む家の準備ができているはずだ。そんな間借りの家などにいなくても、一軒住いの家があるはずだから、すぐ探しなさい』とのお言葉です。
「ですが、金がございません」とお答えすると、『金のことなら、なんとでも神様の方で準備して下さる。おまえは間借りでもいいが、神様を間借りさせてはならぬ』ときついお言葉です。そして、『もうどこからか寄附があってもいいはずだ』とつけ加えられました。「それは無理でございます」と私が言葉を返しますと、『あると言ったらある。一日も早く間借りの家から出ることだ。おまえには、大教会を一日も早くつくるよう神様の方では準備できているのだから』と申されるのです。
こうまでハッキリおっしゃられては、私は「はい」とお返事するより仕方ありません。そして、自分の家に帰って来ると教師のひとりが、「先生、家を見に行ってみませんか」と言うのです。かれは明主様と私の話を聞いていないのに、おかしいなとは思いましたが、私も、もうこの家で布教する考えはなくなっていましたので、その日すぐ、新聞広告をたよりに家さがしを始めました。その家さがしの三日目に、いまの家が見つかったのです。しかし、金の問題で手が出ず、さらに一ヵ月間も何十軒という家を探し歩きましたが、やっぱり適当な家は見つかりません。
このことを明主様にご報告しますと、『借りればいい』とのお言葉があり、まもなく、そのようにして金も調達できて、いまの家に移ることができました。
神様がもうちゃんと準備していらっしゃる──このお言葉を、私はいまも、しみじみなつかしく思い出します。