『神様はうまくして下さる』

 昭和十九年五月上旬、私も遅まきながら赤紙(召集令状)を受取りました。その月の御面会日に強羅の神山荘にお伺いした私は、明主様に応召を受けた旨をご報告申し上げたところ、明主様は、『まあ、しようがないでしょう。しかし神様はうまくして下さるよ』となにげなくおっしゃられました。

 御面会を終え、戸外へ出ると、先輩の先生方が、「よかったですね、もう心配ないですよ」と声をかけて下さいましたが、その時の私には、それがなんのことやら、かいもくわかりませんでした。そして、ほどなく千葉の連隊へ鉄道工作隊として入隊しました。

 数日後です。私は考えました。かつて腎臓結石の業病で死の宣告を受けた自分である。ことによると即日帰郷ぐらいにはなるかもしれないと……。

 ところが軍医の前に出たら、まことにすみやかに、合格判をおされてしまいました。もしこのまま帰れたら、思う存分お道への御用をさせていただきたいものと念願していたのですが、もうあきらめるほかありません。せっかくいただいた「おひかり」を胸にしながら、野戦の土になるとは情けないとは思いましたが、これもいたし方ないと、改めて決心をしました。

 その夜、週番士官から、「あすの出陣式に出る必要なし。以上の者は残留すべし」との発表の中に自分を見出し、いささか唖然としたのです。やがて部隊は出発し、残留組はその後、精密な身体検査を受け、二週間後に除隊命令を受けました。

 後日、同部隊が輸送中爆撃を受け、全部消息を絶ったと聞きましたが、奇しくも残留を命ぜられた数人の者と自分の運命を、改めて見直さないわけにはゆきませんでした。

 ふたたび神山荘で明主様から、『それはよかったですね。まあ一生懸命やるんですね』とお言葉をいただいた時は、まことに身のふるえるほどの感激でありました。