よく無信仰者は、〝神がほんとうに存在するものなら見せてほしい″と申しますが、それは無理な注文であります。なぜなら神とは目に見えず捕捉<ほそく>できない隠<かく>れ身<み>の存在で、言わば大宇宙の本体<ほんたい>(支配力)を人格化<じんかくか>して表現したものに外ならないからであります。もちろん、神はある場合には、人間の姿をして霊眼<れいがん>に映<うつ>ることもありますが、それはあくまでも化相方便<かそうほうべん>でありまして、隠れ身でありますから、神と唱<とな>えるのであります。哲学者はこれを真理としてとらえますし、科学者は宇宙に作用するエネルギーとしてとらえます。またおなじ宗教でも、人格神<じんかくしん>として捕捉するものもあれば、自然法則の形で表現するものもありますが、いずれにしても、この大宇宙には、ある何物かの大きな意志が働いて、その意志のもとに、秩序統制<ちつじょとうせい>ある運動がつづけられていることは疑うことができません。私どもは、この御力<みちから>を神と受取り、神力<しんりき>に守られて、人生を全<まっと>うしようとしているものでして、信仰とはこの神力とのかかわり合いをいうのであります。
「栄光 四五四号」