開拓布教

「先生! あぶない」
 進藤玉枝の前を歩いている總斎が鉄道のレールに足をとられ倒れそうになった。深夜、ここは水戸市内の鉄道線路の上である。新宿・角筈の治療所で“下浄霊”を預かる進藤が、總斎といっしょに何故こんなところに、こんなに遅い時間に、そしてどこに向かって歩いているのか。

 話は一週間ほど前にさかのぼる。

 總斎にとって、寸暇も惜しまれるほど忙しさの続くある日のことであった。肋膜炎を患い、医師から不治の病と言い渡された水戸高校の生徒の両親が、總斎が行なう浄霊の噂を聞いて、ぜひ出張浄霊してもらいたいと訪れたのである。まわりの者は、こんなに忙しいさなか出張浄霊などとてもできる相談ではないと思い、依頼主に憤慨していた。總斎はその隣室で浄霊をしながら両親が受付の者に出張浄霊を懇願しているのを聞いてはいたが、その話に聞き入るでもなく、浄霊の手を休めるわけでもなかった。受付の者は一応、總斎にこの依頼を取り次いだが、
「考えておきましょう」
 とだけボソッと答えて、そのあとはまた黙々と浄霊に専念するのだった。
 受付の担当者は、これは断わりの返事だなと思って、この夫婦に、
「先生はお忙しいので、時間ができたら考えますと言っておられますが、まあ難しいかもしれません」
 と、暗に出張浄霊はできかねる旨の返事をした。この返事に、当の夫婦が肩を落として帰っていったから、この話は立ち消えになったとまわりの者たち詰もがそう思っていた。

 ところが一週間ほど過ぎたある日の夕刻のこと、あたりも暗くなってようやく患者の波も途切れる頃、總斎が急に、
「今夜水戸に行きますよ」
 と言い出した。その話は立ち消えになったはずなのに。突然總斎が水戸に行くと言うので、そこに居合わせた者はびっくりしたのである。
「相手の住所と水戸の地図を用意しておいてください。それから進藤さん、たいへんだろうがついてきてください」  

 こうして總斎の水戸への出張浄霊が始まった。

 三十分ほど枕木の上を歩いて目指す家に着くと、總斎は一服さえしなかった。挨拶もそこそこに、お待たせしましたと言うが早いか、病床にある高校生の浄霊にとりかかるのである。先日出張浄霊を断わられたものと思って気落ちしていた両親は、まさかの来訪に、喜びのあまり踊り出さんばかりであった。總斎はなんと明け方の三時頃まで浄霊を続けた。やがて、患者の血の気が失せた顔に赤みがさしてきた。元気も出てきたようである。これを見て總斎は、
「さあ、始発に間に合わなければたいへんだ。帰るぞ」
 と進藤に声をかけた。そしてこの家の主に、
「息子さんはすぐによくなります。しかし、もう少し浄霊が必要ですので、また近いうちにうかがいます」 
 とだけ言って、別れの挨拶も忘れたように、もと来た線路上を水戸駅を目指して駆け出していった。たちまち小さくなる總斎の後ろ姿を目で追いつつ、夫婦は涙を流しながらいつまでも手を合わせていたという。

 朝九時までには治療所に着かなくてはならないので、上野行きの始発列車に乗り込んだのだが、車両に乗り込んで席に着くと同時に、總斎も進藤もぐつすりと寝入ってしまった。

 進藤はというと、初めてのことでずっと気持ちが張り詰めていたのだが、新宿に着く頃には、空腹を感ずる一方で猛烈に疲れが襲ってきた。しかし總斎はまっすぐ治療所には帰らず、治療所まで歩いてくることのできない重症患者の家、比較的近い家を三、四軒まわって浄霊をしてから帰宅した。そのあと初めて、總斎を中心に角筈の治療所の奉仕者一同が朝食を摂ったという。このような、昼夜を分かたぬ忙しい日々の繰り返しが約一ヵ月続いた。 浄霊に行く水戸の家の近所では、この噂を聞きつけて、總斎が来る時には近在の者が浄霊を受けようと、水戸のその家に押しかけるようになっていた。次第にそこが仮の治療所のようになってきた。本来一人の患者の浄霊のために通った水戸であったが、結局、總斎はもっと多くの人びとのために水戸に通ったことになる。

 そして、次第に水戸の地に救いのみ光が拡がってきた。水戸での布教が軌道に乗り出したのも、總斎のこのような地道な苦労があったればこそである。

 總斎には“開拓布教”という胸に秘める思いがあった。もちろん、新宿で治療を続けていくことはそれなりの意味がある。現実に毎日百名を超す患者が救いを求めて總斎を頼り、朝早くから列をなしている。ここで浄霊の素晴らしさ、ひいては尊い明主様のみ教えを拡げていくことは、今の總斎の重要な御用なのである。しかし、總斎は新宿の片隅で浄霊するだけでなく、この浄霊の力と明主様の教えをもっと広く、日本はおろか、世界中の人びとに知ってもらいたいという熱い思いを胸に秘めていた。

 まわりの者が思いもよらなかった、無理なこの出張浄霊の申し出を受けることによって、總斎は開拓布教の足がかりをつかもうとしていたのである。もちろん、水戸一ヵ所で浄霊を行なったところですぐに大きな成果が上がるわけではない。しかも總斎は、自らが開拓する布教地の数は少なくてよいと考えていたのではなかろうか。總斎の方策は次の通りである。

 まず、自分が出向いて浄霊を行なうことで評判が立つ。その後は、本当に浄霊を、救いを求めている人ならば新宿に出向いて来るだろうし、その地での開拓布教に火がつけば、あとはそこに人を送り込んで一つの治療所を造ることもできよう。この方策に沿って、總斎は水戸からの申し出に応えてみようとしたのだ。しかし、他方、これは總斎のうちに秘めた“想い”ではあるが、同時に總斎に課せられた一つの使命でもあったのである。

 總斎の希望や願いは、現実に御用として課せられる。いわば一人の人間が心の中で思ったことが現実化するのである。開拓布教は明主様が願われ總斎が実行した一つの御用であり、また苦難でもあったが、これは總斎が望んだことであった。この總斎の行動も神様が一つの経綸に沿って總斎を御用にお使いくださったのだと考えることもできよう。