“術”ではなかった

 昭和二十三年の五月でした。観山亭の上の流れの工事をやっていた時、「おひかり」の紐がきれてしまったので、「おひかり」をかけずにおりました。

 そんなある日、畑に陽が当たらないので、自宅の庭の杉の大木の枝切りをしていました。鋸を腰に差して、登って行ったのです。ところが、手でつかまっていた枝が折れて、私は十何メートルも下に落ちたのです。そして腰を強く、下の根っこにぶっつけて、動けなくなりました。

 助けを呼ぼうにも声が出ません。数回呼んで、やっと家内が飛んで来ました。すぐに信者の接骨医が来て治療してくれたけれど、鋸の柄が、腰にめり込んでしまったくらいつよく腰を打ったので、動くことが出来ません。咳をしても痛くてたまらず、毎日、金太郎飴ばかりしゃぶって寝ていました。

 その時、明主様からお見舞金をいただきましたが、治っても仕事は到底出来ないと思い、辞職する考えでいました。

 十五日目に、ようやくすわれるようになり、十六日目に、杖にすがってお礼に伺いました。十七日目に、神山荘の橋のところで明主様をお待ちしていて、ちょうど、そこへ出て来られ、明主様に浄霊をお願いしたのです。

 明主様は『よし、おまえの腰が曲がるようにしてやろう』とおっしゃり、浄霊は二メートルぐらい離れて一分ぐらいでした。そして、『どうだ曲がるだろう。曲げてみなさい』と言われるのです。私はこわごわ曲げてみました。不思議に曲がるんです。

 明主様は『まだ曲がる』とおっしゃいます。

 私は、もう少し曲げてみます。よく曲がるじゃありませんか。

 その日、私は家へ帰って、“これは何かの術にちがいない”と思いました。“術が切れれば、また腰は曲がらなくなるだろう”と思いました。

 夜、目があきました。便所に行きたくなって、ふとんの上に立ってみました。腰を曲げてみました。まだ曲がります。

 “おかしいな、バカによく続いているな”──そう思いました。

 ところが、翌日、顔を洗うのに、腰を曲げて洗うことが出来るのです。ちゃんと両手で、顔を洗えました。

 その時、つくづく、「これは術なんてものじゃない、明主様のお力だ」と悟りました。初めて、えらい方だと心から頭が下がりました。

 明主様は『信仰はむやみに信用するだけではだめだ。浄霊で治って、初めてなるほどと悟る。その体験がおまえに信仰を教えてくれるのだ』と言われました。